人生詰んだニートのブログ

人生詰んだニートが「日々の愚痴」や「趣味の将棋」について書いているブログです。

「臓器提供するから安楽死させて」死にたいニートのお願い

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30代職歴なしニートという社会のゴミです、こんにちは。


30代職歴なしニートともなるとさ、いや、もうね、死にたいわけよ。


人生お先真っ暗、絶望の淵に立たされたどうしようもない存在っていうかさ・・・


でもね、自殺する勇気も度胸も覚悟もないの、死ぬの怖いのよ。


最後くらい自分の力でどうにかしろよって思うんだけどさ、無理。


苦しいし、痛いし、失敗したら最悪じゃない?自殺ってさ。


試しに今、息を止めてみて?


そのまま息をしなければ死ねるよね?


でもさ、すっげー苦しくない?耐えられなくない?


死ぬって事はこれ以上の苦しみを一瞬とはいえ味わうわけじゃないですか、これは無理。


死んで楽になるためにはこの死ぬほどの苦痛を乗り越えなきゃいけない、なんて高いハードルなんだ・・・


こんな感じで生きる事も死ぬ事も満足にできないどうしようもない人間なんですよ。


これが困り物だよね。


こういう何もできない所がニートなんだなって思うよ。人としてのクズさが良く分かる。


もう一瞬でパッと消えられたらなぁ・・・


この世からいなくなりたいよ、もう希望も無いしさ。


眠る時が生きてて唯一の安心できる時かな、とりあえず眠ってる内は死んでるみたいで何も考えなくて良いし起きるまでは嫌な事もなにもない真っ暗な無の世界にいられるしね。


小学生の頃も似たような事思ってたなぁ・・・


次の日に歌のテストとかの嫌な授業がある時は眠ってる間は幸せだって・・・


目を覚ますまでは嫌な思いをしなくて済むって・・・


何もない無の世界って逃げるには最適な空間だよね。


今はそのまま起きることなく眠ったまま死ねたら幸せなんだけどなぁ・・・


死ぬ苦しさを味あわずそのまま逝けたらいいのに・・・


よくドラマとかで眠ってる内にくも膜下出血で亡くなって、医者が「あまり苦しまず逝けたでしょう」みたいな事言うけどホントかな?


だとしたら理想の死に方は眠ってる時にくも膜下出血なんだけど・・・


ドラマのいう事だからなぁ・・・実際はメッチャ痛かったり苦しかったりするのかな・・・


その時間が短く済むってだけかな?


よく分からないなぁ・・・


まぁこんな感じで基本的にもう死にたいんです、でも死ねないんです。


落ちこぼれたまま生きるの疲れたよ、底辺人生は良い事ないよね。


美味しい物食べてる時くらいかなぁ幸せを感じるのは。


うん、それくらいだな、最近生きてて良かったって思えたのは。


美味しい物食べてる時は幸せだよね。


ちょっと死にたい事を忘れる時間だし美味しい物を食べるってのは前向きな良い事だよね。


まぁ一瞬だけだけど。


はぁ・・・でも総合すると死んだ方がマシかな、辛い時間が長いしね。


死ぬ度胸があったらなぁ・・・


頑張って生きる事も、あきらめて死ぬ事もできない、何もする度胸がないってのがダメだよなぁ・・・


同じような悩みを持ってる人っていません?


死にたいと思ってるけどなかなか自殺に踏み切れないって・・・


私もそうです、死ぬの怖い仲間です。


なんてネガティブな仲間なんだ・・・悲しいですね。


そんな感じで死ぬなら楽に死にたい、苦しまず逝きたい、そんな事を思いながら楽に死ねる合理的な手段が無いか考えていたらちょっと思いつきました。


今回はそんな話です。


臓器提供する代わりに安楽死させる法律を作って

死ぬのが怖いのは苦しいから、痛いから。


じゃあその苦痛がなく死ねる方法は無いかと考えた時、ありました、安楽死 です。


でも、日本ではまだ安楽死は認められていないみたいなんですよね、これが残念。


死にたい人は死なせてあげる優しさも必要だと思うんだけど、違うのかな?


もう安楽死を認める時期が来てもいいんじゃないかなぁ・・・


仮に安楽死法案を進めるとしたら、重い病気で治る見込みがなくどう転んでも死ぬ事が決まっていて、苦痛に耐えられない人を安楽死させるならアリ、単にわがままで死にたい人を安楽死させるのはナシ。


こういう境界線になると思うんですよ。


こういう方向で安楽死法案を進めて、とりあえず安楽死を認める方向に行ってくれたらもう一つ考えほしいものがあります。


それは ドナー志願制安楽死 です。


臓器を提供する代わりに死にたいと志願した人を安楽死させてあげる法案です。


これ良くないですか?


さっき言った、ただのわがままで単に死なせるのとは訳が違う。


ちゃんと病気を治して生きたい人の役に立ち、死にたい人の希望を叶えてあげる双方の役に立つ法律です。


死ぬ理由はわがままかもしれないけど 無駄には死なない という部分が違います。


死にたい人が楽に死に、生きたい人に生きるチャンスを与える合理的な法律じゃないですか?


単に自殺されてしまい臓器が使えず、臓器提供されてれば助かった人が助からなかった事を考えたら相当合理的な案だと思うんですけど・・・


これをぜひ採用して貰いたいです。


死にたい人を救ってやる必要はないけど、生きたい人を救ってあげる必要はありますよね?


その生きたい人を尊重する法案なんですけどどうでしょうか?


もし法律を決める政治家が臓器提供のドナーを待っている立場の重い病気になってたりすると考える余地が生まれると思うんだけど、みんな元気だからなぁ・・・なかなかこういう案は通らないよなぁ・・・


それに「命は大事にしましょう」みたいなのが当たり前の風潮だから身勝手な死を簡単に容認はできないんだろうし・・・


でもニートなんて社会のゴミなんだから殺処分しても問題ない、みたいな厳しい意見もあるじゃないですか。


ゴミの命は軽く見るみたいな。


じゃあせめて最後くらい慈悲を与えて臓器を提供して貰う代わりに安楽死させてあげてもいいんじゃないかなぁ・・・


まぁ臓器提供するとはいえ安楽死が合理的になってしまうと、命を軽く見てしまう風潮になったりするかもしれないから現実味はないかな?


ニート以外にも社会で苦しんでて死にたい人が多すぎたりするかもしれないしね。


自殺者って分かってるだけで年間3万人いるらしいし、死にたい人が多すぎて臓器過多みたいな現象になったりするかも・・・


とりあえず単に自殺されるよりは臓器提供するドナーが増える可能性があるという所にメリットがあるんですけど、採用して貰えないかな・・・


この法案が通って志願者を安楽死させてくれるようになったら早速希望するんだけど、もしかしたら、いつでも楽に死ねるという余裕から逆に生きるのを頑張るなんてパターンもあるかもしれませんよ。


「本当に死ぬ前に1回死ぬ気で頑張ってみようかな、それでダメだったら死ぬか」


って感じで、最後に本気の頑張りを見せるかもしれませんし。


こうなると死にたいのか生きたいのかよく分からないですが、前向きに社会復帰するニートが出てきたりして全部が全部マイナスに働くとは限らないのでうまく回るんじゃないかと思ってます。


色々と問題があるかもしれないけれど、今よりもちょっとは臓器提供される数が増えて助かる人が増えるのは確かなんで、一度考えて貰えないでしょうか?


もう社会の役に立つ事がなく先が見えないクズニートが死という最後の関門を簡単に超えられるように安楽死を合法化してください。


社会的にもクズが処分できて誰かの命が助かるメリットの大きい案だと思います。


最後に

社会的に死んだも同然の30代職歴なしニートが現実に死ぬ事が怖くてできないから思いついた案なんですけど、どうでしょうか?


今、臓器提供を待っている方からしたら朗報なんじゃないかと思うんですけど。


私の臓器を使って生き延びてもらえたら本望です。


最後に無駄に死なず役に立つために死ねるんなら死ぬ意味があるってもんです。


気持ちの面でも楽に死ねるしね。


でも現実問題、絶対通らない法律だよね。


散々だらけてニート生活なんて送ってきたんだから最後くらい苦しんで死ぬのが正しいのかもしれませんね。


苦しいのは嫌だなぁ・・・


まだまだ覚悟が決まらないです・・・


はぁ・・・なかなか死ねないなぁ・・・


生きるしかないんだよなぁ・・・


どんな底辺人生を歩む事になるのかなぁ・・・


臓器を提供する代わりに安楽死させてくれる法律がいつかできる事を願ってます。


はぁ・・・もう楽になりたい・・・