人生詰んだニートのブログ

人生詰んだニートが「日々の愚痴」や「趣味の将棋」について書いているブログです。

物事を本当に理解したか確認する方法

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何かを学んだ時、それをちゃんと理解できたかを確認する方法を知るキッカケになった、世の中って何から学べるか分からないなって思った話をしようと思います。


高校時代の3年間お世話になったとある教科の先生に、何ていうか残念な先生がいました。


何が残念かって言うと、重度の天然ボケだったという所です。


可愛い芸能人が天然ボケなのは武器になりますが、教師にとって天然ボケってマイナスにしかならないんですよ。しっかりした人を求められますからね、致命傷です。


天然ボケって言う位だからカワイイボケばっかりなんです。具体的には・・・


・いつまでたっても名前を覚えられない、読み間違える

「小沢」と書いて「こざわ」と読む生徒がいたとします、でもこれって「おざわ」とも読めますよね?


授業の最初の頃ってそういうの分からないので間違えてもしょうがないと思うんです。でもこの先生はほぼ毎回読み間違えます、ある意味すごいです。


授業で指す時に「おざわさん」「こざわです」のやり取りが何年経っても続くってちょっとヤバイでしょ?たまに間違えない事もありましたが、基本間違える、学習能力がないんですよ。ちょっとうんざりします。


・同じ生徒を1回の授業で何回も指す

普通、授業で1回指した人って連続2回で指しませんよね?でも、この先生はそんな常識は通用しません。指した事を忘れているからです。


これ私が実際にやられたんですけど、授業で教科書を誰かに読んで貰う事ってありますよね?先生に指名されて何ページのどこまで読んでくださいみたいなの。


私が1回指されて読み終わり次の人を指名する時、「じゃあ次は誰に呼んでもらおうかな・・・ヤス、読んで」って2連続で来たんですよ。いやいや今読んだばっかですよ?もう指されないと安心した所なのにやめてくれよ・・・


ニワトリは3歩歩いたら忘れるとか言いますけど、歩きもせず忘れるこの先生はニワトリ以下です・・・すごいです。


・カタカナに弱い、書き間違えが多い

黒板に書く時に「スタート」と書こうと思ったとします。するとこの先生はカタカナに弱いのか「スータト」と書いたりします。


伸ばす所をよく間違えるというミスをいつまでたってもやっていました。生徒に言われてもミスに気付くまでちょっとかかるくらい気付いてません。


徐々にツッコむのが無駄なんじゃないかと思うほどになり、先生が書き間違えてもみんなはノートに正しい言葉で自然と書くようになりました。それくらい定番のミスです。




他にも物覚えが悪いとか教え方があんまり上手じゃないなどありますが、基本的にカワイイボケですよね。


でもね、これが3年間ずっと続いたっていうのが問題なんですよ。改善しないから困ったんです。みんなの心の中にはこんな感情が芽生えていたんじゃないかと思います。


「この先生はボケすぎてて当てにならないな」

「先生の言う事より、ちゃんと教科書を読んで間違えないように覚えないと」

「こいつが担任じゃなくてよかった」


とかね。私はちょっと思っていました。この先生ヤバイよな、受験がある3年生を担当したら受験書類にミスとかしてそう・・・って。


現にこの先生はボケてる、この人の情報はあんまり信用できないというのが教師側にもありました。教師も「あの先生が言ってた?間違ってるかもしれないからちょっと確認してくる」って感じでしたし。


本当の天然ボケの人に会うと分かりますが、生活してて生きにくいんじゃないかなぁ・・・ってくらいヤバイですよ。テレビでみる天然ボケみたいな面白さなんてなくて相手は迷惑でうんざりしてしまうんです。


天然ボケの女性芸能人みたいな可愛さはなく、可哀想という感情が芽生えてきます。それくらい心配な存在なんです。


正直「この先生から学ぶ事は何もないな」なんて思っていました。でも、この先生のミスから一つの大事な事を学ぶ事ができたんです。そんな話を聞いてください。


ボケ先生がテストの出題で最大のミスをする

この先生の最大のすごいミスはテストで起こりました。ボケ先生が作った問題で今までにないミスがあったんです。


テストの問題で「ア~エの中から一つ選び、答えを記入しなさい」って問題ってよくありますよね?4択から選択する問題。


頭の悪い生徒でも唯一勘で埋められる救いの問題だったりします。しかし、この先生はとりあえず答えは埋められるという選択問題の常識を覆す革命的なミスをしてきたんです。


ア~エの選択肢の中に答えがないという致命的なミスを。


これビビリません?どれを選んでもハズレっていう選択肢の意味がない離れ業をやってのけたんですよ。


そういえばテスト中、頭の良い人が手を挙げて先生にコソコソ何かを質問してたなぁなんて思い出します。多分こう聞いていたんだと思います。


「この問題、選択肢に答えが無いんですけど、どうすればいいですか?」って。


選択問題はとりあえず答えを埋められると思っている私みたいなバカには気付かない高度な質問です。選択肢の中に答えが無いとか気付いてませんでしたから。


テストを返されて答え合わせの授業の時、先生は言いました。


「問6なんですが、選択肢に答えが無いというミスをしちゃったんで、この問題は空欄だった人が正解です」って。


クラス中に無言の「は?」が聞こえた気がしました。


「何でもいいから絶対に答えを埋めろ」「勘でも答えられる選択問題だけは絶対に抜かすな」みたいに言われた事ってありません?テストは答えを埋めてナンボだ、みたいな。


この長年の教えがこの瞬間に覆されました。選択問題といえど、答えが無いなら埋めてはいけないって。衝撃でした。


ボケもここまでくると見事だな・・・って思いましたよ。でもこの事から一つ学べた事がありました。


本当に理解していると間違いに気付ける

物事を覚えてちゃんと理解したかを確認する方法ってけっこう難しかったりしませんか?


何を持って理解したと判断できるのか、この定義がイマイチ見つかりませんでした、が、この先生のミスで気付かされました。


本当に理解している人は間違いに気付けるって。


テスト中に先生に質問していた頭の言い人は分かっていたんですよね、答えが無いって事を。これが本当に理解している証拠だと思います。


ちゃんと理解していない私は「どれかが正解のはず、どれかが・・・」って考えるだけで答えが無いという事には行き着きませんでしたから。


ミスに気付く、これが理解したと判断する一つの方法かもしれません。


本の誤植に気付けるのも日本語を理解しているからできる事であって、日本語を学び始めたばかりの外国人にはできないですよね。間違いを正しい日本語だと思ってしまうかもしれませんし。


つまり、生徒が本当に理解しているかを確かめるには、テストにちょっとした引っかけを用意するといいのかもしれません。


昔、私がやられた引っかけを一つ紹介します。情報処理系の計算問題での事です。


○○の○○を少数第三位まで求めなさい。という問題が出たんです。これがちょっとした引っかけでした。


この問題の答えはピッタリ割り切れる問題だったんです。答えは2.000が正解でした。


でも小数第三位まで求めるって事は割り切れないんだよな?って思った私は2という答えにたどり着いたのに、割り切れたんだからハズレだと思い、割り切れない答えになるように計算しなおすというミスをしました。


ちゃんと理解していれば迷い無く2.000と記入できたり「これ小数第三位まで求める必要ありませんよ」って先生に言えたりできますよね。


これができないって事は本当の意味で理解していなかったという事でした。やられたなぁって感じです。


相手がちゃんと理解しているか確かめるには、理解していないと迷ってしまう引っかけを一つ仕掛けるというのが良いのかもしれません。


全国の教師の皆さん、一度テストでちょっとした引っかけ問題を作ってみると生徒の理解度が分かるかもしれませんよ。


まぁ「選択肢の中に答えがない」はやりすぎだと思いますけどね。


最後に

この人から学ぶ事はないなと思った先生から、けっこう大事な事を学べた気がしたので書いてみました。


まぁ奇跡ですけどね。ありえないミスからの発見でしたから・・・


ミスに気付ける以外にも「相手に分かりやすく教えられる、噛み砕いて伝えられる」というのも理解していると判断する一つの方法だったりもしますよね。


普通に生きていると、間違えや引っかけのある問題って少ないんで「相手に教えられるか」で理解度を試した方がいいかもしれませんね。


それにしても選択肢に答えがない問題に出会うなんて・・・貴重な体験をしたなぁって思います。


この問題に出会わなければ「間違いに気付く事が理解している判断材料になる」なんて思わなかっただろうからちょっとは感謝しないといけないのかもしれませんね。


あれから15年以上会ってないけど、今もあの先生はボケ続けてるんだろうなぁ・・・