人生詰んだニートのブログ

人生詰んだニートが「日々の愚痴」や「趣味の将棋」について書いているブログです。

ニートをお盆やお正月の親戚の集まりに出す必要はない、ほっとくのが一番です、頼むからほっといてくれ

スポンサーリンク

30代職歴なし、今年は正月に親戚が来なかったので気持ちが軽いニートです。こんにちは。


正月も明け、社会人にとっても休み気分が終わり、みんなが殺伐とした社会に戻っていく時期になりましたね。


ニートの私にとってもみんなが休みで仕事を探す事が難しい正月が終わった事で新たな絶望に向けて歩き出す時期です。


いや、希望のある明るい道は分かってるけどそっちに踏み出せないって表現が正しいかもしれません。


その希望の道へ向かうには超絶高い崖を上らないとたどり着けない現実がありますからね。


そんな感じで毎年の今ごろって改めて現実を目の当たりにして気持ちが落ちていて絶望感が強い時期なんですが、今年はそうでもありません。


それはなぜかというと


正月に親戚が来なかったからです


無駄に現実を見せ付けられ精神力を無駄にしなかったというのが大きいです。


イトコとか来ると、子供を連れて来たりしてより自分の絶望感が増すからね。


同い年なのに


「自分の家庭を築いてる大人」「実家にしがみついているニート


の差みたいなのを味わうっていうかさ・・・


同年代のちゃんとした人と会うと現実を見せ付けられて絶望感が増すんだよね・・・


「これからどうするんだ?」


なんて言われてもこっちが聞きたいっつー話・・・


どうすんのって・・・知らねぇよ。


もうどうしようもねぇよ・・・

それ分かって聞いてるんだろ?

弱者を痛ぶって気持ち良いだろ?


って感じです。


親戚が来るってニートにとって精神力のスタミナみたいなのを一気に消費して気力まで使い果たし、回復に時間がかかるものだったんだなって思います。


今年はニートになって悩みもなく清清しい正月を迎えられた初めての年でしたね。


親戚が来ないだけでこんな良い気分になるって事は


「親戚に会うのってそれくらい嫌だったんだな・・・」


ってすごく実感します。


親戚が来てる中、会わないように部屋に逃げ込んで1日をやり過ごすって家が狭くなった感覚になって窮屈ですからね。


トイレも気軽に行けないからさ。


毎年来ないと良いんだけど、来年は来るのかなぁ・・・


嫌だなぁ・・・


ニートはほっとけ

ネットを見ているとこういう親戚の集まりの時のニートの扱いって極端に2つに分かれてると思います。


「無理矢理親戚の集まりに出されるタイプ」「親もあきらめて親戚に会わせない様にするタイプ」に。


私の場合、この中間なんですけどね・・・


一応、部屋にいる私に声をかけてくることもあります


「こっちきて一緒にご飯食べろ」


って・・・


そしてそれを拒否する私という図式。


まだ完全にニートの私をいないものとして扱いきれない優しさみたいなものがあるんですよね・・・


もう無視でいいのに・・・


親があきらめて親戚に会わせない様にするタイプは、ネットカフェに逃げるだけのお金を渡されて


「家にいるな」


って言われるパターンと、部屋にいるけど声をかけず相手にしないパターンがあるみたいです。


冷たいようだけどこれが正しい対応だと思うんだよなぁ・・・


ニートは親戚がいる時に家にいると辛いからね・・・


でも外に行くお金も無い場合があってどうにもならないニートもいるから・・・


逃げ道を作ってくれるなんて優しさだよね。


それに部屋にいるけど相手にせず「無」の存在として扱ってくれるとかすごく助かるよ。


呼ばれる心配がないだけで少し心が軽くなるし。


要は、ニートが親戚に会わなくても大丈夫な状態を作る事がニートを救済し、親自身も恥をかかなくて済む唯一の方法なんです。


ポイントは、


ムリヤリ集まりに出す事はない


という部分です。


ほっとくのが一番です


ニートにとって親戚と会うというのは地獄以外の何物でもありませんし、親にとってもニートを抱えている恥ずかしさを味わう事になりますからね。


ニートの存在を認める事はお互いに良い事はないからです。


「無いものにする」


は冷たいようで正しい判断だったりします。


ニートが親戚の集まりに参加してしまうと、


・格好のターゲットになってしまうか

・全く相手にされないか


の極端なパターンしかありませんから。


どう転んでも地獄しかないんです。


結局の所、まわりが大人になって


ニートは相手にしない、いないものとして扱う」


が正しいです。


親戚側もニートを抱えてるって分かってるならニート自体は相手にしない心を持ちましょう。


ニートなんて存在価値が無いんですから、そんなものを意識する事自体が無駄です。


ほっとけ


「親族にクズはいなかった、ニートなんて存在しない、そんな奴見たことない」


くらいで丁度良いです。


どうせ年に1回会うか会わないかの関係でしょ?


その関係すら無くてもいいものなんですからニートを気にするだけ無駄です。


お互いのためにも、ほっとく優しさを持ちましょう。


そもそも親戚の集まりって必要?

親戚の集まりで悩むニートからするともっと根本的な部分から疑問があります。


「年1~2回しか会わないような関係に意味はあるの?」


それも仕方なしに会ってるような関係に。


いや、親もさ、めんどくさいみたいな事は言ってるんですよ。


集まりがあると色々用意しなきゃいけないし、気を使うし。


年賀状とかお歳暮もそうだけど、年賀状とお歳暮だけの付き合いの親戚もいますよね?


そんなん意味ある?


いざという時、助けてくれるの?何かメリットがあるの?


会いもしない人がどうしてようと関係なくない?


こう言っちゃ何だけど、死んでも心が揺らがないじゃん?悲しくないじゃん?関係ないじゃん?


「葬式になったよ・・・行くのめんどくせぇ・・・」


って思っちゃうような人と関わる必要ある?


遠くの親戚より近くの他人


って言うしさ、もう根本的に見直したらいい時期がきてるんじゃないの?


今の若い世代って年賀状もお歳暮も親から言われて受け継いでる人じゃないとやらなくない?


自発的に年賀状やお歳暮を送ろうって思う?


そういう人はすごいね、大人だと思う。


でもさ、「現実見てそろそろ無意味な関係は断っていく方向に向かうのが健全じゃないかな」って思います。


仕方なく集まりや葬式なんかに出てる現実ってあるじゃないですか。


そういう愚痴は色々聞いてきましたよ。


じゃあもうみんなが本心に素直に生きて、めんどくさいから全部やめようって方向に向かうのもアリじゃない?


まぁお歳暮をやめると経済的に問題があるらしいけどね。


でもいらない風習っていっぱいあると思うんです。


このネットが普及して気軽にコミュニケーションが取れる時代によ、いちいちめんどくさい重苦しい関係を続ける事もないんじゃないかな?


繋がろうと思えばネットで繋がれるし、メールだってできる、なのに年賀状だけの関係を続けてるって、別にそんなに続けたくないし会いたくはない関係って事じゃん。


「昔からやってるんだからやる」ってダメな考え方だからね。


何も進歩しない典型的な例じゃないですか。


昔からやってるから何?今いらないんだから終わりでいいだろって言いにくい現状が悪い習慣を残す原因だと思うんだよなぁ・・・


親戚と集まって楽しい人たちは集まれば良い、めんどくさい人はやめればいい、それだけの事です。


けっこう簡単。でも実現するには難しい。めんどくせぇなぁ・・・


私の場合、親の世代が最後の親戚付き合いだと思うんだよなぁ・・・私はやらないし。


お盆も正月も親戚関連の行事がなくなったら平和になって理想なんだけど・・・


その実現まではまだまだかかりそうです。


最後に

ニートが親族にいてやっかいな事がある場合、ベストな選択肢はニートをほっとく事です。


お互いにそれを望んでいるので何の問題もなく解決します。


親戚側は


「○○くん(ニート)は最近どうしてる?」


なんて間違っても言っちゃダメですよ。


そんな奴はいませんから。


存在を消しましょう。


親もほっとく習慣を付けるといいです。


ニート側もほっといてくれるなら親戚が帰るまでの6時間くらいを部屋で過ごす覚悟はできてますから。一歩も出ませんから。


お互いに持っている暗黙の了解みたいなのはニートも分かっていますよ。


自分の存在が恥ずかしい事も、扱いがヤッカイだって事も、死んで欲しいって事も全て。


なので親族的に殺してください。本当に死ぬのは難しい問題なんで・・・


そんなんいたっけ?って感じで丁度良いです。


ほっとく


お互いにこれを守り、受け入れれば解決します。


まぁめんどくさい親戚の集まりをやめちゃえば何の問題も起こらないんですけどね・・・


いつかこういうめんどくさい親戚付き合いが終わる日が来ないかなぁ・・・