人生詰んだニートのブログ

人生詰んだニートが「日々の愚痴」や「趣味の将棋」について書いているブログです。

アンチがいて一人前、5人に好かれ5人に嫌われる人が本物、だからアンチコメントも前向きにとらえよう

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最近、このブログにもアンチコメントが来るようになってきました。


「死ね」「クズ」「ゴミ」のような罵倒はもちろんの事、厳しい口調でのブログへの反対意見、批判など色々・・・


アンチコメントって普通ならあんまり貰いたくはないですよね。基本的に荒れた文章ですし、読んでいていい気分ではありませんから。


なるべくアンチを生まないように運営を頑張っている方もいるかもしれません。


でもね、ブログ運営という観点から見るとアンチもちょっと前向きにとらえる事ができるんですよ。


要は、それだけ色々な人に見てもらえるようになったという事だから。


基本的にブログって検索から来るから、こちらの狙ったターゲットが辿り着きやすく、自分の記事に同意してくれたり賛同してくれる人が多いかと思います。


「分かります」

「記事に同意です」

「言いたい事を言ってくれてありがとう」


みたいなね。この手のコメントは励みになったりしますが、こういうコメントばかりだとそれはそれでよくなかったりします。


なぜなら自分の悪い面に気付けなかったりするからです。たまには


「お前なに言ってんの?」

「それは違うだろ」

「もうちょっとよく考えろよ」


みたいな悪い面を気付かせてくれる事も大事だったりします。


要は、色々な意見を聞く事で自分の成長にも繋がるんですよ。


「アンチがいて一人前」


みたいな言葉って聞いた事ありません?


アンチがいるって事は不特定多数の人に見てもらえてるという事なので、ようやく世間に認知されてきたという証明でもあります。


やっと独り立ちできたような感じですね。アンチが出てくるというのはその目安にもなります。


なので、アンチがいるからって完全にマイナスというわけではありませんから、ちょっとアンチコメントがあっても落ち込む事はないんですよ。


「自分のブログがやっと知られてきたんだ」と前向きにとらえましょう。


5人に好かれ5人に嫌われる人が本物

アンチを恐れる人は嫌われる事を恐れているのかもしれません。


でも、人間というのはある程度嫌われるというのも大事な要素だったりします。


以前、テレビ番組で某落語家の方がこんな事を言っていました。

10人に好かれる人は「偽善者」

10人に嫌われる人は「悪党」

5人に好かれ、5人に嫌われる人が「本物」


ちょっと分かる言葉ですよね。


みんなに好かれてる人ってそれはそれでちょっとアレですし、みんなに嫌われてる人は確かにソレですし・・・


学校でもありませんでした?


みんなから好かれてる人って八方美人すぎて逆にどこのグループにも属せてないみたいな事が。


修学旅行の班とかを決める時、その人が自分のグループに入ろうとしてきたら「お前、俺らのグループだっけ?あっちじゃない?」みたいになる感じ。


そして他のグループにいっても同じ事を言われてしまう・・・


みんなが自分をグループの一員として認識してくれてないんです。


みんなに好かれているけど、それは単にみんなに良い顔をしているだけで特定の誰かと深い付き合いがないから、いざという時どこにも入れないってありますよね?


つまり、みんなに好かれる事は必ずしもよくないという事です。


グループができるという事は「あいつらとは合わないからつるまない」「俺たちは俺たちで別もの」という要素がけっこう重要です。


派閥意識というか、グループ同士でちょっと嫌いあっているという要素もグループができる過程では必要なんです。


みんなに好かれていると仲間意識が芽生えにくく「お前は誰とでもOKだから別に俺らとじゃなくてもいいじゃん」とハブられる可能性もあるんです。


つまり「偽善者」は「本物」の友達にはなれないって事です。


なので、誰かに嫌われるという要素も人間には必要だったりするんですよね。


そうなると、この5人に好かれ5人に嫌われるという絶妙なバランスがけっこう大事なんじゃないかと思います。


これはブログにも言えますよね。


みんなに嫌われないように無難な事ばかり書いている人は偽善者ですし、メチャクチャな事を書いて荒れてる人は悪党ですし・・・


記事自体も、無難な記事過ぎると面白くないですし、いきすぎてたら不快ですし、極端だとあまりうまくいきません。


この中間が絶妙なポイントなんでしょうね。


私の場合も、コメントが少なかった最初の頃は、そもそも多くの人に知られてないというのもありましたが、記事の中身自体もどこか偽善者ぶった内容が多かったのかもしれません。


だから相手にもされず、仮にコメントをもらえても無難なコメントが多かったんだと思います。


でも、徐々に記事を書くのに慣れてきて、本音で書き出すと、色々な意見が飛び交うようになりました。


ちょっと意見が分かれるような事を書く事で、多くの人に反応を得られるようになった感じですね。


そうして賛同する意見だけじゃなくアンチも生まれてくる事で、徐々に記事自体が「本物」に近づいていってるんじゃないかって思うんです。


まぁ「本物の記事って何だよ」って聞かれるとよく分からなかったりしますけどね。


でも、徐々に片方の意見に偏った事ばかりじゃなく、色々な意見が出てくる記事を書けるようになったというのは嬉しい事です。


それだけ人の心を動かしたという事ですから。


だから、アンチが出てきたからって落ち込む事はありません。


「あ、自分の記事は本物に近づいてきたんだ」


と思えばいいんです。


反応せずにはいられない文章が書けたんだと。


で、やりすぎてアンチが増えすぎたら悪い記事を書いているという事ですから丁度良い目安になりますよ。


「本物」のバランスを目指してブログをやる事が、賛否両論がある面白いブログになるのかもしれません。


アンチコメントはしてくれていいんだけど、もうちょっと具体的に書いて

アンチコメントを書き込む人って基本的には怒ってる人ですよね。


「記事の内容に腹が立った」

「一言文句を言ってやりたくなった」


という感じだと思うので。


他にも「単にバカにしてやりたい」みたいなコメントもありましたが、メインは怒ってる人が多い感じでした。


だから「死ね」「クズ」「ゴミ」みたいな一言暴言を吐いて終わる感じのコメントが多いんだと思います。


でもね、これだとな~んも響かないんですよ。


「つまんねぇコメントだな・・・もっとちゃんと書けよ」


って思っちゃいます。質が低すぎるコメントは意味がありません。


単に「死ね」とか「クズ」って言われても


「いや、死なないし・・・」


「初対面の人のブログにいきなり『クズ』とか書き込んでるお前の方がクズじゃん?」


としか思えません。


「お前のここが気にいらねぇ、この記事のここに腹が立つ、こんな事を書くお前はクズだ、だから死ね」


くらい言ってくれたらいいんですよ。それなら死んで欲しい理由も分かりますから。


まぁここまで書いてくれると、こちらも改善する余地が生まれるのでアンチコメントとはいえ有益なコメントになったりしますけどね。


それが悔しいから雑なコメントが多いのかもしれませんね。


とりあえず、私が言いたい事は


「アンチコメントをするならもっと具体的に、『死ね』だけだとつまらない、何も伝わらないので無意味です」


という事です。反対意見も歓迎なのでガンガン批判してくれて構いませんから。


とは言っても、アンチコメントをする人は二度と来ないだろうからコメントのやり取りができなくてつまらないんだけどね。


「言うだけ言ったからスッキリした」


でもいいけどさ、ちょっと話し合おうよ、わざわざ批判をコメントしてくれるんならさ。


基本はスルーなんだけど、内容によっては返信するから1週間後くらいにもう1回だけ見に来てくれると嬉しいです。


まぁこうは言っても、アンチコメントの相手に飽きたら完全にスルーして返信しなくなると思うからどうなるか分からないけどね。


最後に

アンチコメントが来る事はすべてがマイナスではありません。


相手にしない方がいいコメントもありますが、中には有益なコメントも転がってたりしますから。


まぁ有益なのは滅多にないけどね。


たまにアンチコメントが来ても、落ち込む前に自分のブログは「本物」に近づいてると思ってみてはどうでしょうか?


ブログ始めたての頃だったらそもそもコメントなんて来なかったわけですしね。


色々な人に見てもらえるようになったという事をまず喜んでみてもいいんじゃないでしょうか。


自分の意見に反対してくれる人もけっこう貴重なので、受け取る側も意識を変えてちょっとだけ相手にしてみるといいですよ。


たま~~~~に役立ちますから。


それに、善良なコメントとアンチコメントのバランスで自分のブログがどういうブログなのか何となく分かるので1つの目安にしてもいいかもしれませんね。


アンチコメントも単にスルーするんじゃなく、ちょっと役立ててみる、そんな感じが大事かもしれません。