このブログって超底辺人間である私というニートのブログなんで、けっこう見下される事があります。
普通に働いている方からのアンチコメントはそういったコメントが多いですしね。
例えば・・・
「ゴミすぎ、お前みたいな底辺の人間を見てると安心するわ」
「底辺を見ながら飲む酒はうめぇ」
「ホントクズだなお前、こんなクズがいるなら俺はマシな方だ」
みたいなね。
こんな感じで、底辺である私を馬鹿にしているコメントはけっこうきます。
まぁ底辺は底辺なんでバカにされるのはいいんですが、ちょっと「ん?」って思いました。
これらのコメント、こちらをバカにしているようだけど知らず知らずの内に自分も底辺である事を認めてしまっているんですよね。
共通しているのは「自分より下の人間を見て安心している」という所。
これが底辺である事を決定付けているんです。
なぜなら、自分より下の人間を見て安心するっていうのは、もう上に行くのは無理と諦めた底辺人間の特徴だからです。
上にいる人って下は見てないんですよね。もっと上を目指しているから。
下なんか見てる暇なんてないし、そもそも遥かな高みにいて下なんて見えないから。
下を見ているという事は、もうすでにかなり下にいるという事を認めてしまっている事になるんです。
だからかなぁ・・・最初にこれらのコメントを見た時に「ちょっと寂しい思考じゃない?」って思ったんです。
社会人なのにどちらかと言えばニート寄りの底辺になっている悲しさになんか違和感がありました。
「なんか言ってて悲しくならない?みじめ過ぎない?」って。
でもそれは当然の事だったんです。
だってコメントしている本人が底辺人間だったんですから・・・みじめな人間だったんですから・・・
みじめな発言をするのも仕方のない事だったんですね。
そう考えると、これらをアンチとくくってしまうのはどうなのかなぁ・・・っていう感じになりました。
だって、どちらかと言うと敵じゃなくて仲間だったからです、同じ底辺人間としてのね。
それに、冷静に考えれば、下を見て安心するっていうのはそんなにおかしい事でもないような気もします。
みじめではあるけど、底辺人間ならよくある事かと思いますし。
みなさんもありません?
自分より下の人間を見てなんか安心する事が・・・
上を見ても辛いだけだから、ちょっと下を見て気を休めるみたいな事、あると思うんです。
そう考えると、これらのコメントは分からなくもない思考だったりします。
このブログにピッタリなダメ人間によるダメ人間らしいコメントだったんです。
同士だったんです。
アンチコメントのようでそうじゃない不思議な感じ・・・
こういう新たな底辺仲間が訪れた事で、改めてこのブログの利用価値についてちょっと書いてみようかなって思いました。
このブログは私という底辺人間を見て安心する事を目的とした底辺による底辺のための底辺なブログだって事をね。
底辺らしい悲しい話になるかと思いますが、ちょっと聞いてください。
下を見て安らぎたい時ってあるよね
このブログはニートに向けて「ダメなのはあなただけじゃないよ、ここにもいるよ」
っていうのを伝えるのがコンセプトなんですが、今思えば「自分より下のニートを見て安心して」っていうのを伝えているブログだったんですよね。
ダメになった人間の唯一の希望は、自分と同じかそれ以下の人間がいる事実を知り、まだ自分は最下層じゃないと思う事だったりしますから。
自分はまだマシだったってね。
そう考えると、これらのアンチコメントを書いた人たちはこのブログの正しい使い方をしていた事になります。
まさかニートじゃない普通に働いている人にも役に立つ底辺ブログになっていたとは驚きです。
完全にターゲット外ですから。
でも、働いていようが、そうじゃなかろうが、底辺の辛い人間っているんですよね・・・
ニートだけが底辺ってわけじゃなくて、働いてても低い給料で奴隷のようにこき使われる立場にいる底辺もいるわけですから・・・
私という超底辺人間を見て心が安らいだならそれはそれでOKです。
このブログは底辺に落ちぶれた人間に「まだ底じゃない、大丈夫だよ」と伝えるブログだったんですから。
下を見て安らぎましょう。底辺として生きるのに疲れたんでしょ?苦しかったんでしょ?
じゃあこのブログを見てちょっと休んでください。
自分がドン底にいると思っていたけど、もっと下があった事にちょっと安堵できたよね?
ならよかった、底辺を肴に美味しい酒を飲んでくれたら本望ですよ。
どうしようもない底辺な現実は変わらないけど、生きていく希望がちょっとでも見つかったならブログを書いた意味があるってもんです。
もう上を見る元気がないのは分かるからさ、下を見て元気出してくれよ。
明日からまた頑張って、底辺なりの底辺な人生を生きていってください。
上を見るのが辛いのは向上心を失った証拠
安心して貰った所なんですが、ちょっと悲しい現実の話もしておこうと思います。下を見て安心するっていうのは分からなくもない思考です。
でも、よくない傾向である事は確かなんですよね・・・
向上心を失った証、もう諦めている証拠だからです。
人間、頑張ってる時っていうのは上を見てるものですしね。
希望のある頃って、高い高い目標となる人を見て、
「俺もいつかあんな風になるんだ、あの高みまで登りつめるんだ!」
って思うものですから。
でも、もうそうじゃないという事は、現実にそびえ立った高い高い壁に打ちのめされてしまったという事です。
自分の力ではどうしようもない現実を見てしまったんですよね。
ここが自分の限界だと。
まぁみんながみんな上にいけるわけじゃないからしょうがないんだけどね。
向上心を失った今、上を見るのは辛い現実を見つめる事になるだけだから、もう見られませんしね。
自分の落ちぶれ具合を再確認するだけのみじめな行為、それが上を見るという事になってしまっている悲しい現実。
そうなったらもう上なんか見てられないですよね。
向上心を失った人間が上を見るのは絶望しかないのは事実ですから。
もう終わった人間なんだから下を見るしかできないのもしょうがないです。
頑張る力、向上心、そういった前向きな力を失って弱っている人間にとって下を見るのは必要な事かもしれません。
諦めも大事っちゃ大事ですしね。
でも、下を見た事でちょこっとだけ上を見られるじゃないですか。
まだ最下層じゃないという現実を知り、少しだけ気持ちが上を向きませんか?
上は見られないけど、下を見た事で前は向けたわけですから。
下を見て安心するというのはあまり良い傾向とは言えませんが、ちょっと元気になれたならそこまで悪い事でもないです。
もう底辺として生きていくしか道がないならこういう生き方もありっちゃありです。
上を見て辛い現実に打ちのめされて諦めたのなら、それなりの人生を歩みましょう。
下を見て安心している内はもう無理なので、あきらめて底辺人間として生きていきましょう。
最後に
こちらをバカにするためにアンチコメントをしていたはずが、知らず知らずの内に自分を底辺だと認めていた、という悲しい現実からちょっと1記事書いてみました。下を見て安心するっていうのは底辺ならよくある事なので、そんなに変な事じゃないというのが伝わったらいいかなと思います。
このブログもそういう底辺に向けたブログだしね。そういう人が安らいでくれたら意味がありますから。
それにしても、ニートだけじゃなく、底辺を見て安心する底辺社会人も来るブログになっていたなんて・・・ちょっと驚きです。
何がどうなるかなんて分からないものですね。
底辺同士、分かり合える何かがあるのかもしれません。まぁ悲しい現実には変わりないですけど・・・
でも、自分より下の人間を見てちょっと元気になれたなら、それはそれでよかったと思います。
それで生きてもらえるんなら書いた意味もあるかな、「意外と最底辺ではないよ、まだ下はいるよ」という事を伝えたかったりもするから。
自分よりダメなヤツを見て、また少し頑張れるならそれでもいいと思います。
頑張れないよりマシです。
底辺には底辺なりの生き方がありますから、このブログに辿り着いてちょっと元気になった底辺の方は、またそれなりに頑張ってください。
まぁみじめには変わりないからちょっとは変わった方がいいとは思うけどね。
安らぐだけじゃなく「自分はこんな底辺にいるのか・・・これじゃダメだ・・・」と思う事も大切だったりしますよ。
悲惨な現実を見て、また上を目指すキッカケにでもなってもらえたらいいかなぁと思います。
いつか下よりは上を見て頑張れるようになってください。