30代職歴なし、やりたくない事は極力やらないニートです、こんにちは。
このブログにたどり着いた読者の検索ワードを見ていたら1つ「ん?」ってなったワードがありました。
それがこちら。
子供の頃にスポーツをしないとニートになる?
子供の頃にスポーツをしないとニートになる・・・
スポーツとニート・・・
う~む・・・関係あるようなないような・・・
イメージとしてはすごく対極にある言葉ですよね。
スポーツってすごく前向きで明るくて爽やかでポジティブなものというイメージですし・・・
ニートってすごく後ろ向きで暗くて鬱々としたネガティブなものというイメージですし・・・
イメージ的にスポーツをしている人はニートにはならないような感じがします。
単純に捉えると
「スポーツをやっていれば後ろ向きでネガティブなニートになんてなるはずない」
みたいな発想になるかもしれません。
そんな感じで、ニートになった原因を調べている内に
「もしこうしてたらニートにならなかったかも・・・」
と思い付き検索したワードでしょうか。
自分の子供がニートになり、その過去を振り返ったら子供の頃にスポーツをしてなかった(させてなかった)という事に気付いた親御さんなのか・・・
ニート自身が自分を振り返った時「そういえば子供の頃スポーツをしてなかったけどそれがニートになった原因なのかな?」と思って検索したのか・・・
何かしらスポーツにコンプレックスみたいなものを持ったニートに関係のある人が検索したんだとは思います。
思い当たる過去と照らし合わせてニートになった明確な原因を知りたかったんでしょうね。
でもハッキリと
「スポーツをしなかった事がニートになった原因だ!」
と言ってくれるサイトはなかったと思います。
ニートになる理由って1つや2つじゃなく無数に存在するので、単純な原因では解決できなかったりしますから。
実はニートになる原因って地味に難しい問題だったりするんですよね。
意外と単純で簡単に分かりそうだけど、いざ答えを聞かれるとコレといった明確な答えや定義が出てこない地味に難しい問題です。
なぜニートになったのか・・・
どうすればニートにならなかったのか・・・
子供がニートになった親御さん、自分自身がニートになってしまって悩んでいる人にとっては気になる問題だと思います。
10年以上ニートをしている私ですら、ニートになった明確な理由は分からなかったりしますからこれは難問です。
ニート自身も原因が分からないんじゃもうお手上げですよね。
ただ、私はこのワードを見た時に1つ心の片隅に引っ掛かっていたニートになった原因みたいなものが頭をよぎりました。
ニートになりやすい思考っていうのかな・・・
そういう思考になってしまった原因がスポーツにあったようななかったような・・・
今回はこの検索ワードの疑問を少しでも解決できるように、私の中にあるニートとスポーツに関する情報を提供したいと思います。
子供の頃にスポーツをしないとニートになる?
まず最初にこのワードの疑問の解決をしておこうと思います。子供の頃にスポーツをしていてもニートになる奴はなります
スポーツとニートには明確な関連性はありません
ニートになった原因は子供の頃にスポーツをしていなかったから、というのはただの空想ですね。
スポーツ自体はやりたいならやって損はありませんが、ニートにならない要因になるかと言われると多少プラスになるかもしれませんが根本的にはそこまで関係ないと思います。
ニートになる奴は何をやっていてもなります
なぜここまで言えるのかというと、10年以上ニートをしている筋金入りニートの私自身が子供の頃はスポーツをやっていたからです。
幼稚園時代には「水泳」
小学生時代には「ソフトボール」「サッカー」
中学時代にはガッツリ運動部
子供と言われる時代にしっかりスポーツをやっていました。
でも結果を見ればこのありさま・・・
10年以上ニートをしているゴミクズになりました・・・
「スポーツをすればニートにならない」
なんて口が裂けても言えません・・・
スポーツをしてもニートになっちゃったんですよね・・・
もしスポーツをすればニートにならないという説が正しかったなら私はもっと真っ当な人生を歩んでいたはずです。
なので、スポーツとニートにはそこまでの関連性はないと思います。
多分、このブログの読者の中にも
「子供の頃スポーツをやっていたけど今メッチャニートだよ」
という人もいますよね。
そういった方々はスポーツにはそこまでの力はないという事をヒシヒシと感じているかと思います。
残念なお知らせですが、ニートを予防するのにスポーツはそこまで役に立ちません。
この検索ワードには
「自分の子供がニートにならないように育てたい、それには子供の頃にどうすればいいか」
という疑問を持った方もいたかもしれませんが、スポーツをやるやらないはそこまで関係ないので違う方法を模索してください。
スポーツなんてイメージが良いだけで、人間を変えるほどの力はないという事ですから。
今回、この検索をした人たちがスポーツとニートを関連付けて考えたのは多分こういった理由が当てはまると思ったからかもしれません。
ニートになる人は活力がない人が多い > でもスポーツをやっている人は活力がある > じゃあスポーツをやれば活力のある人間になるんだからニートにはならない
みたいなね。
何かにつけて定義付けが大好きな人はこういった定義に当てはめて全てを分かったような気になりがちですが、完全な的外れなので注意しましょう。
人間というのはそう簡単に割り切れるものではありません。
まぁ原因とも言える定義が分かれば解決法も見つかるので、どうにか法則とか関連性を探そうとするのは良い事なんですが、根拠もなく勝手に思い込んでしまうとよくないですね。
思い込みから正しいと信じ込み、他人に押し付けるような事をするとけっこう危険ですから。
もしこの検索ワードを根拠もなく信じ込んでしまい
「スポーツをしないとニートになるなら、自分の子供には無理矢理にでもスポーツをさせよう」
なんて思ったら大変です。
そうすると子供には持たなくてよかった価値観などが生まれてしまい、逆にニートになったりしますから。
その1つの例を私の実体験から説明したいと思います。
このワードで気付いた私がニートになった原因らしきもの
子供の頃、スポーツをやっていたと書きましたが、実はコレ、私がやりたくてやっていたわけではありません。親のエゴ です。
小学生だった当時、何も習い事をせず、毎日ファミコンばっかりやっている私を見た母が、何か習い事をさせないとマズイと思った事がキッカケです。
当時の私の友達は英語や公文、プールなど何かしら習い事をしてましたしね。
周りの子はみんな何かやっているのに自分の子供は何もやっていない事に不安を感じたのかもしれません。
ただ、母が忘れている大切な事は
「周りの子供は習い事をやりたくてやっていた」
という事です。
周りの子達は別に親が無理矢理押し付けてやらせていたわけではないんです。
好きで習い事をやってるんだから、好きでファミコンをやっている私と同じようなものです。
この大切なポイントを知らない母は、私に無理矢理押し付けるようにスポーツの習い事をするように強制してきました。
「習い事をしていないのは悪い事だ!変な事だ!」
という思い込みによってね。
私は拒否しました。
なぜなら私は運動なんて向いてないおとなしい子供だったからです。
休み時間は教室で絵を描いているのが好き、みたいなね。
遊びでドッジボールとかサッカーとかやるのは嫌いじゃありませんでしたが、率先してスポーツをやるような子ではありませんでした。
なので
「わざわざ習ってまで運動なんてやりたくない」
「スポーツなんて嫌いだ」
「家でファミコンをやってゲームを上手くなった方がマシ」
そんな感じでした。
しかし、親の強制力というのは非情です・・・小学生の私に逆らえるはずもありません・・・
私は強制的にサッカーを習わされる事になりました・・・
行きたくない・・・
何でサッカーなんか・・・
何でこんな事をしなきゃいけないんだ・・・
これが正直な私の気持ちでしたね。
やりたくない事を無理にやらされる強制労働みたいなものです。
そしてそこで味わったのは子供には辛い現実でした・・・
サッカーを習うというくらいだからそこに集まるのは市内でも有数のスポーツマン、運動神経抜群な小学生達です。
その子達と苦手なスポーツという分野で戦わなきゃいけないという状態に追いやられたんです・・・
体育でヒーローの足の速い子しかいない所に一人足の遅い陰キャが入っていった感じです。
これが辛かった・・・
ただのダッシュでも置いてかれる悲しさ・・・
リフティングを10回もできないヘボさ・・・
基礎練習すらついていけないダメさ・・・
そもそもサッカーをやりたくないので上手くなりたいという向上心もありません。
ただ無意味に負け続けるだけ・・・
自分が落ちこぼれなんだと思い知らされるだけの時間・・・
地獄以外の何物でもありませんでした・・・
今でもサッカー中継とか見ると胸が苦しくなったりしますしね・・・
死ぬほどダッシュさせられてゼェゼェいいながらみんなに追いつけなかったあの頃を思い出します・・・
私にとって小学生時代のサッカーはトラウマを植え付けるというだけのマイナス要素しか生みませんでした。
そしてこの出来事をキッカケにある1つのニートになりやすい要因みたいな思考を持ってしまったんです。
それは・・・
もうやりたい事しかやらない、やりたくない事は絶対にやらない
というものです。
やりたくない事を強制的にやらされ無意味な地獄を見せられた私は
「やりたくない事はもう2度とやらない」
という信念をもってしまったんです。
要は
「やりたい事しかやらない」
というわがままでダメなニート思考が出来上がってしまったんですね。
こうなった私は基本的な生活ですらやりたい事しかやらないという歪んだ性格になっていきました。
学生時代にサボり癖があったという記事を昔書いたんですが、それはこの無理矢理習わされたサッカーによって生まれた思考だったのかもしれません。
もう学校でも課題とかイベントとかそういうめんどくさいものはやらないような人間になってしまいました。
理由はただ1つ
「やりたくないから」
これだけ。
ただのわがままです。
でも、こうなったのはやりたくない事が2重に重なり、常にやりたくない事をやり続けなければいけない状態になった小学生時代の影響が大きいと思います。
サッカーを習わされた当時、私はやりたくない事だけで埋め尽くされた毎日を送っていたからです。
月火水木金土(当時は土曜日は午前授業だった)と行きたくもない学校へ行き、安らぎの休みである土曜の午後と日曜の朝はサッカーをやらされる・・・
やりたくない事から解放される安らぎの土日が、やりたくないサッカーで潰されていました・・・
もう休みがなく安らぎの時間はなくなってしまったんです・・・
毎日やりたくない事のオンパレード・・・
この心が休まらない地獄のような生活を送った反動が今の
「やりたくない事はやらない」
という思考にいき着いたんだと思います。
つまり、親のエゴで子供を操れる時期に、子供の意見を無視してやりたくない事を無理矢理やらせるとあまりよくないという事です。
それが表向きはイメージがいいスポーツだろうとね・・・
自分の意思を無視され無理矢理追い詰めてしまうと、私のように歪んだ思考にいき付いてしまう子供も出てくるかもしれません。
だってサッカーをやる前はけっこう普通の子供でしたしね。
「やりたくない事も我慢してやる」
という思考はありましたから。
サッカーは完全に私を歪ませるキッカケとなったマイナス要因にしかなりませんでした。
やりたい事しかやらない、やりたくない事はやらない
という思考は、ニートになった今の根管を形成しているといっても過言じゃない思考です。
だからこそ辛い事から逃げ続け、
現実を見ない
というニート生活を送っているわけですからね。
働いてない理由も単純で
「仕事をしたくないからしない」
というたった1つの怠けた思考によるものです。
ここまで書いて明確に気付きましたが、小学生時代のサッカー地獄は本当に私にとって大きな分岐点だったんですね。
ホント、アレからですからね、学生生活も私生活もやりたい事しかやらなくなったのは・・・
やりたくない事からはひたすら逃げ続けてきた先に今のニートの現状があるので、あながち間違いじゃないと思います。
ニートになる原因の1つはこの
「やりたい事しかやらない、やりたくない事はしない」
というみんなが我慢しながら押さえ込んでいる感情を爆発させた先にあるのかもしれません。
最後に
子供の頃にスポーツをしないとニートになる?という検索ワードを見て頭によぎった事を長々と書いてきましたが、なんとなく自分のニートの原因に気付けたような気がします。
要はただのわがまま、
やりたくない事はやらず、やりたい事しかやらない
という思考によるものなんだと思います。
これこそがニート思考の到達点かと。
だってまともだと言われるほとんどの人は望む望まないに関わらず日々やりたくない事に縛られながら生きていますしね。
学校しかり会社しかり・・・
でも、究極のワガママによってそこから開放されたのがニートなのかもしれません。
ただ、この思考はみんな持ってる思考だったりもするんですよね。
心の奥底に押し込めて我慢してるだけで・・・
だってさ、もし10億円あったら明日から会社に行く? 行かないでしょ?
即バックレない?
働きたくて働いている人なんてどれくらいいるのかな?
ほとんどの人は働きたくないけど生活の為にっていうかお金の為に我慢して働いてるんだよね?
休みの日が安らぐっていうのがその証拠ですしね。
やりたい事だったら休みなんていりませんから。
ファミコンとか毎日出来ましたし、今でいうとネットを休むって苦痛ですしね。
出来ない事が苦痛になる、辛くなる、それこそが本当にやりたい事なんだと思います。
やらなくて済めば安らぎになる仕事ってやっぱり超絶苦痛なんだよね。
ある種、ニートは人間の欲望に素直に生きる事を選択した人種なのかもしれません。
どんな境遇にあろうと
「やりたくない事から逃げている」
というのはニートの共通点かと思います。
「働くのが嫌だから(怖いから)働かない」
っていうのは
「やりたくない事から逃げている」
という事ですしね。
どんな言い訳をしても
「やりたくない事をやらない」
というのがニートの基本姿勢です。
ニートにさせないためには
「やりたくない事も我慢してやる」
という学生生活で埋め込まれた日本の教育による奴隷思考みたいなものを失わせない事が大切なのかもしれません。