人生詰んだニートのブログ

人生詰んだニートが「日々の愚痴」や「趣味の将棋」について書いているブログです。

「最後の晩餐」に悩むニートの話

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「もし明日地球が滅びるとしたら最後に何を食べる?」


みたいな質問から始まるちょっとした想像で語る話題ってありますよね?


俗に言う


最後の晩餐


ってやつです。


これといって死を想定していない幸せな人の場合、


・今まで生きてきた中で一番おいしかったもの

・死ぬ前に一度は食べてみたい高級料理


などについて面白おかしく語ると思います。


しかし、リアルに絶望し、自殺も視野に入れて死が身近に控えたニートからすると、けっこう真剣に考える話題だったりするんですよ。


「もし本当に死ぬとしたら最後に何を食べるのがいいんだろうか・・・」

「何を食べたら納得して死に向かえるのか・・・」


ってね。


自殺とは違うんですが、私は1度だけ「最後の晩餐」的なことをしたことがあります。


一度、病気の悪化で


「まともにご飯を食べられるのもあと少しかもしれない」


と思った時、


「もし本当に最後なら何を食べる?」


というのを真剣に考えたことがあるんです。


私が出した結論は


「最後に〇〇を食べて死を受け入れよう」


というものでしたが、いざその時がくると候補が多すぎて


「本当にこれでいいのか・・・」

「やっぱり後悔するんじゃないか・・・」


と葛藤して決めるに決められない難しい問題だったりしましたね。


些細な話題として考えられがちな「最後の晩餐」ですが、実は元気なうちに考えておいた方がいいことなのかもしれません。


今回は、1度だけ本気で「最後の晩餐」を考えた時の話を交えつつ、色々と思ったことを書いてみたいと思います。


理想と現実のどちらを取るか

「最後の晩餐」について考えた時、まず浮かんだのは


・今までに食べたことのない憧れのものを食べるか

・ここまでの人生で一番美味しかったものを食べるか


というものでした。


「どうせ死ぬなら最後に全財産を使って超高級料理店で豪遊しても問題ない」


という振り切って突っ走る暴走的な思考と


「最後に食べるなら一番好きだったアレかな・・・」


という100%おいしさが保証されたものを食べて終わらせる安定思考でね・・・


理想を実現するか、現実を取るか


のどちらを選ぶかが大きな別れ道です。


この辺はそれぞれの人生経験で変わってきますね。


私は後者の安定を選んだんですが、それを決定づけたのはふと浮かんだのは高校時代の最後の学食でした。


当時、学食を利用する時は予算が300円だったのもあり、安さと安定した旨さを持つ


「きつねうどん」


を食べていたんですが、3年の3学期を迎えて最後の昼休みになった時、


「これで最後なら一度は食べてみたかった一番高いうどんを食べてみるか」


と「きつねうどん」より200円も高い


「天ぷらうどん」


を選んだんです。


「きつねうどんがこれだけ旨いなら天ぷらうどんはもっと旨いはず」


という期待を胸にね・・・


しかし、天ぷらを一口食べて愕然としました・・・


「肝心のかき揚げがそんなに旨くない・・・」


っていう致命的な欠陥によってね・・・


油揚げを作る技術は高かった学食のおばちゃんでしたが、天ぷらを揚げる技術はイマイチだったみたいです。


最後の最後に思い切ったばかりに


「うわ・・・これが最後かよ・・・」

「こんなんだったらきつねうどんを食べて終わりにしたかったわ・・・」


という後悔で私の学食の思い出は終わりを迎えました・・・


この時の残念な感じはけっこう胸に残るものがあり、


「最後だからこそいつも通りの方がいいこともある」


という教訓が1つ刻まれましたね。


あの時は「最後の学食」という些細なものでしたが、もし最後の最後、死ぬ時に


「欲張らずにいつも通りにしてればよかった」


なんて後悔を味わったら目も当てられません・・・


こういう経緯により、最後の晩餐を考えた時、私は安定を選び


「今までの人生でおいしかったものから選ぼう」


と決意し、考えに考えた末に向かった先はある総菜屋さんでした。


私が最後に選んだもの、それは・・・


総菜屋の砂肝


でしたから・・・


この総菜屋で売っているガーリックペッパー味の砂肝が色々食べてきた中でも最高クラスのものだったのと、病気の影響で量を食べられなくなっていたのもあり


量よりも味重視


で考えた結果、こういった結論になりました。


「砂肝」は友達と宅飲みする時のお供だったので、お酒を飲んでいた時の楽しい思い出と共に満足した最後を迎えられた気がします。


「これが最後でも納得だわ・・・」


と、あとは安らかに逝く覚悟が決まったような気がしないでもないです。


まぁ死ぬほど辛いけど死ねない病気だったのもあり生き残って今に至っていますけどね。


ただ、この満足できた経験から「最後の晩餐」の結論として


「最後はいつも通りの安定を取る」


というのが確定しました。


もし自殺すると決意した時は


ここまでの人生で美味しかったものランキング


の中から選ぼうと決めているので気持ちはスッキリしていますね。


ガチの最後は食べたいものを食べられないんだよね

病気により死を覚悟して「砂肝」を選んだ私でしたが、本当に食べたかったものは他にもありました。


もし健康だったらガッツリ食べられる


・中華料理屋のラーメン唐揚げセット
インドカレー屋のカレーセット(ナンおかわり自由)
ステーキ屋のバイキング付きステーキ


の中から「腹いっぱい食べるプラン」を選んでいたはずですから・・・


たぶん「最後の晩餐」を考える時は「健康な今」を基準に考える人が多いと思います。


でもね、実際に「最後の晩餐」を迎えた時は


食べられない現実


っていうのがあったりします。


自殺する前は心理的に食事をしたくなくなったりしますし・・・

病気で最期を迎えた頃には食事すらままならないですから・・・


だからさ、疑似的に「最後の晩餐」を味わった私から言いたいのは・・・


「常に最後の晩餐だと思ってありがたく食え」


ってことなんだよね・・・


日頃、食事をおろそかにして雑に食べたりすることもあると思いますが、それは「明日もまた食べられる」っていう余裕からきていますよね?


でもさ、明日も元気に生活できたり、生きてる保証なんてないんですよ・・・


ある日、急に病気になってから満足に食事を摂れなくなった身としては、


「食べたいものを食べられるって幸せなことなんやで・・・」


っていうのを改めて知って欲しいと思っています。


こういうのって分かっちゃいるけどあんまり感じないですよね。


いざ自分がその立場にならないと分からないことだから・・・


一食一食を大切に


とか言われてもピンとこないかもしれないけどさ、もし友達と最後の晩餐について楽しく語ることがあったら、そのままそこで出たものを食べに食事の約束をしちゃうのが一番よ。


「いつでもできる」と思ってると「できなくなるまでやらない」


みたいな感じになって


「あの時にちゃんとやってれば・・・」


とかなるからさ・・・


さっき食べた食事が「予期せぬ最後の晩餐」になることもあるわけだから、ちょっとだけでもありがたみを考えるといいような気がします。


最後に

自殺も視野に入ってきて死を間近に控えたニートなら考えることもある


最後の晩餐


についてダラダラと書いてみました。


私の結論は


「今までの人生でおいしかったものから選ぶ」


という感じになりましたが、この辺は人それぞれですね。


いざとなると迷ってしまうので、健康な今、いくつか目星をつけておくといいかもしれません。


30~40代になった人なら


残りの人生であと何回おいしくご飯を食べられるのか


っていうのを視野に入れて考えてもいい時期ですよ。


意外と早くガタがきて食べられなくなったりしますから。


入院とかした時には手遅れなので


「さっき食べたご飯が最後になっても後悔がない」


って言えるくらい充実した食生活を送れるといいですね。


病院で食べた「おかゆ」みたいなのが最後じゃ死んでも死に切れませんから・・・


とか書いてきた今、体調が悪くて満足に食べられないのが辛い所です・・・


あ~ガッツリ肉を食べたい・・・


死ぬにしても最後の晩餐をできるくらいに回復したいもんだわ・・・