人生詰んだニートのブログ

人生詰んだニートが「日々の愚痴」や「趣味の将棋」について書いているブログです。

「死」を前提に物事を考えると「見えてくるもの」もあるって話

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30代職歴なし、あと数年で命の終わりを迎えそうなニートです、こんにちは。


ニートになってからというもの、常に頭に付きまとっているのが


「死」


という言葉です。


このブログでもずっと書いてきていますが、この先の人生に希望がなさすぎて


「死にたい」


って気持ちがそうそう消えることはありません。


「どうやって自殺するのが楽なのかなぁ・・・」


みたいなことばっかり考えていましたから・・・


ただ、最近はもう割り切ってきたのか


「進んで死ななくても、死ぬしかない時がきたら死ねばいいか


という感じになっているので昔に比べると気持ちが軽くなってはいますけどね。


基本的に「死」というものをネガティブに捉えていましたが、ちょっと軽くなってきた今、


「死について少し前向きな話も書きたいかも」


と思ってきた感じがあります。


カテゴリーを作って数多く書いてきた「死にたい系」の話ですが、


「暗い話ばっかじゃアレかな?」


という感じがしたので、今回は少し前に見た情報や体験を元に


「死」を前提に物事を考えると「見えてくるもの」もある


という「前向きな死の話」をしたいと思います。


自分の葬式を想像すると理想が見える?

ちょっと前にYoutubeで「自己啓発系の本を紹介している動画」を見ていた時、


自分の葬式を想像すると「理想とする自分」や「今やるべきこと」が見えてくる


みたいな話を聞きました。


どういうことかと言うと、自分の葬式に参列してくれた友人達が自分を見送る時に、


「自分はどんな人だった」と言われたい(思われたい)か


を想像し、そこで浮かんだ答えこそが


自分が理想とする姿


なんだそうです。


大雑把な例えになりますが、


「いつも優しくて良い奴だったよな・・・」


と言われながら送られたいと思った場合、自分が理想とするのは


優しい人


ということになります。


こうやって自分の理想の姿が分かった時、今の自分の生活習慣や行動は


「その理想に近づく行動になっているのか?」


と見つめ直すことができるんです。


そして


「理想の最後を迎えるためのゴールが定まる」


ので今から何をすればいいのかも見えてきます。


あとはそのゴールに向かって人生を歩むだけです。


ネガティブなはずだった「死」をキッカケにやるべきことが見えてくる


という面白い話だと思いました。


自己啓発系の話って胡散臭くて敬遠していましたが、この話はけっこう良い話だと思います。


まぁネガティブニートの私の場合、理想は見えたけど行動力がないから進展しないっていう欠点がありますけどね・・・


もしそれなりに悪くない人生を送っているけど


「最近、ちょっとゴチャゴチャして方向性を見失ってるかも・・・」

「何を目標に生きたらいいか分からない・・・」


という方は、ちょっと1回 冷静になり、


自分の葬儀を想像する


というのをやってみるといいかもしれませんよ。


目標(ゴール)が見えると急にスッキリしたりしますから。


前向きに生きるヒントとしてお試しください。


自分が葬儀に参列する想像で「どうでもいい人」を判断する

けっこうメジャーな話が終わった所で、ようやくこの記事の本題に入ります。


ここ最近、ニート人生の終わりが見えてきたからか


「残り少ない人生、なるべくムダなことに時間を費やしたくない」


みたいな感覚が強くなってきて


「物事をかなり割り切って考える傾向が強くなっている感じ」


があるんですよ。


割り切る基準は、おそらく皆さんも無意識に持っている


「何が大切」で「何がどうでもいいのか」


というもので、


「どうでもいい」に属したものはアッサリ切り捨てる感じ


ですね。


その判断をする時、


「人がどちらに属するか」


の基準が先ほどの話の逆だったことに気付いたんです。


私が思う


「大切な人」と「どうでもいい人」


の判断基準は


その人が亡くなり、葬儀に参列することを想像した時にどう思うか


です。


亡くなった連絡を受けてお葬式の日程を聞いた時、


「葬式か・・・行くのめんどくせぇ・・・」


って思ってしまうような人は「どうでもいい」に属します。


去年の年末、私にとって大切な人が亡くなったんですが、その時はこんな冷たいことは思いませんでしたね。


中学時代から付き合いのある親友が亡くなったことを想像してもこんなことは思いませんし、想像しただけなのにけっこう悲しくなって精神的ダメージを負いそうになります。


でも、嫌いな父方の親戚が死んだ場合、


「葬式か・・・行くのめんどくせぇ・・・」


と、躊躇(ためら)いなく思えるのを考えると、私の中にはこういう基準で人を判断してる感じがあります。


極端すぎる判断かもしれませんが


死んだ時に何とも思わない人はどうでもいい


という基準を持つとけっこうスッキリと割り切れますね。


今、ちょっと想像してみてください。


亡くなったことを想像しただけで悲しくなる人

「葬式か・・・行くのめんどくせぇ・・・」と思った人


がハッキリ分かれませんか?


もし迷いもなく「葬式めんどい」と思った人は距離を置いて最低限の付き合いにしても問題ないと思いますよ。


職場で業務上の会話しかしないパートのおばちゃん


くらいの扱いで、波風立たない程度に付き合うのが丁度いいです。


ブログで情報発信をするようになって思ったんですが、


現代人はどうでもいい人のことを気にしすぎ


な傾向がある気がするので、この判断基準で


「大切な人」と「どうでもいい人」


をハッキリ分け、「どうでもいい」と判断した人とは進んで関わらなくていい気がします。


ちなみに、SNSなどでしか関わらないネット上の他人はどちらへ属しましたか?


ほぼ「どうでもいい」に属しましたよね?


こういう人のことを気にしてキャパオーバーになっている人もいると思うので、これを機に気にしないのもいいと思いますよ。


最後に

自殺することばっかり考えていたニート


「死」


を基準に考えることで前向きになりそうな話を書いてみました。


昔と時間は変わらないのに、ネットの発達で抱えきれないほどのものに触れる機会が増えた今、


「何が大切」で「何がどうでもいい」のか


の軸を自分の中に持ち、


「どうでもいいものを切り捨てる」


のは大切だと思います。


特に


「人」


についてはしっかり分けた方がいいですね。


現代人はどうでもいい他人を気にしすぎ


だと思うので、どうせ気にするなら大切な人との時間を大事にした方がいいですよ。


余計な荷物を抱え過ぎている今、ゴミを捨てていく感じで割り切ってみてはいかがでしょうか。