人生詰んだニートのブログ

人生詰んだニートが「日々の愚痴」や「趣味の将棋」について書いているブログです。

今死ぬとニートとして生きてきたこの10数年もつじつまが合う気がする

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30代職歴なし、今がまさに余生なんじゃないかと思ってきたニートです。こんにちは。


最近、ちょっと思うんです。


ニートとして生きてきたこの十数年っていったいなんだったのかなぁ・・・って。


人間らしい生き方をしてないし、希望もないし、未来もない、これって何なんだろ?って。


働かないで自由に生きてるって言われればそんな気がしなくもないけど、そういう自由とも違う・・・


やっぱ縛られてる部分はあるんだよね・・・


でも自由っちゃ自由・・・


ただ、あまりの希望のなさに「死」がちらつく・・・


未来がなくて死にたくなる世界・・・


何だろうこの感じ・・・


そんな事を考えていました。


最近は死にたい気持ちもちょっと落ち着いていて、生きていてもいいかなぁ・・・とか思ってる安定期です。


そんな感じだから思ったんでしょうか・・・


冷静に自分の人生を見つめられた一瞬だったのかもしれません。


そしてボーっと考えてる内に、1つの結論が出ました。


今のこの状態って「余生」なんじゃないかと。


もう人生は終わってるようなもんだし、終わりに向かって少しずつ進んでるんじゃないかと。


ちゃんと働いてきて定年退職をした人の余生とはまた違った感じなんですが、雰囲気だけ見てれば似てるなぁって。


仕事をしない、自由、もう未来はない、そして死を意識する・・・


こんな現状を生きてるんですが、これって余生っぽくないですか?


余生ですよね?


そして思いました。


「今死ねば、このニートとしての十数年は余生だったとして成立するんじゃないか」


って。


そう、今は余生なんですよ。


余生だったんです。


だから働いてないし、自由にしてるし、未来もないし、死を意識してるんじゃないかと。


今死ねば、このゴミみたいな人生に1つの理由が見つかり、そしてつじつまが合うんじゃないかと。


10年以上ニートだった人生も余生だったと考えれば悪くない人生だったと思えるような気がしました。


今死ねば、これは余生だったとして成立するんだと。


35年くらいにギュッと凝縮した人生だったから今みたいな人生になったんじゃないかってムリヤリ理由付けができなくもないです。


いや、ごめんなさい。


こんな事を書くとまたちょっと叩かれたりしますよね。


じゃあ死ねよ

「はやく余生だったと証明しろよ」


とかね。


あくまで今死ねれば成立する理屈なんですよね、コレ。


まぁそれはまだ無理かなぁ・・・死ぬ覚悟は決まりません。


でも、今死ねば、このクソみたいな十数年は余生だったとして成立するかもしれません。


30代半ばで死んだとなれば、働かなかったのは死ぬ事を予知した最善の行動だったんだと。


今がすでに75歳くらいの感じなんじゃないかと思ったりもしますしね。


とりあえず1つ言える事は、今死ねばこのクソみたいな人生に1つの理由はつけられるという事です。


ニートとして過ごした十数年は「余生」だったんだと。


余生だったから働いてなかったんだと。


いや~クズな理由ですね。


でもこういう終焉もニートらしくていいのかもしれないなんて思いました。


すでに余生みたいな人生を送ってたりするんだよね

余生だと思ったのは、実はけっこうリアルに余生っぽい人生を歩んでるからだったりします。


最近、このブログでもちょいちょい触れてますが、私、ここ3年くらいずっと病気なんですよ、地味なね。


ギリギリ社会復帰できる最終ラインでもある35歳が見えてきましたが、それは人生の終わりを示すラインでもあります。


ハロワの求人って35歳を境に一気になくなりますからね。35歳は最終ラインなんです。


ここを過ぎたら真の絶望ロードへ突入します。


そんな人生の終わりが近づくと同時に病気になる・・・


老後かよって感じがしたんですよね。


寿命が35歳と考えると、ちょうどいいタイミングで病気になってるような気もします。


30歳までは自由に健康で生きていたので、ここまでは老後の平和な余生。


32歳から病気になったんですが、それは死に向かう余生、そんな絶妙なタイミングかなって。


もう天に「お前はここで死ぬんだ、これは人生の終わりを告げるための病気だ」と言われてるような気がしないでもないです。


ここで死ねばお前の人生の全ては成立するってね。


ニートという人生を選択したのは35歳で死ぬのを予知していたという本能的な感覚だったんじゃないかと。


いや、ホント、ここで死ねばすべてが納得ですよ。


ニートだった事も、病気になった事も・・・


ずっと死を意識しながら生きてきたので「余生ってこんな感じなのかなぁ・・・」って思ったりしますしね。


80歳まで生きられるような感じもしないし、ここらで人生を終えるのが最善なのかもしれません。


すでに余生と認識している、だから死にたくなるのかな?とか思ったり・・・

こう考えると、ニートになってからのクソ人生、ずっと死にたかったのも分かるような気がします。


ずっと死に向かって生きてたんだと思えるからね。


寿命が35歳説、これが正しければ、この十数年、ずっと死を意識していたのも頷けます。


無意識に余生と認識しながら生きてたんだって。


本当にそろそろ死んだ方がいいのは明白だし、今までのニート人生は余生だった説を信じて死んだ方が安らかに逝ける気もするんだよね。


今までが余生だったならもう充分人生は楽しんだ感じもありますしね。


そんなに苦労もしなかったし悪くない人生だったと思えます。


「今が余生、35歳が寿命説」


何となく思った説でしたが、けっこう納得できますね。


本当にここで死ねれば意外と良い人生として終われるかもしれません。


最後に

何かふと思った話を書いてみました。


何となく思ったんですが、意外と悪くない説なんじゃないかと思うんですよね。


「今までは余生だった」


そう考えると、色々納得する事があります。


確かに、死ぬならこの辺がベストなタイミングです。


ここまでの人生を考えると、ここらで死ぬのが一番納得できるタイミングですから。


意外と本当に事故とかに遭って享年35歳とかになるんじゃないかなぁ・・・


35歳で死んだならニートだったのも人生楽しめてよかったような気がしますしね。


そろそろ寿命が近づいている、そんな予感がしなくはないです。


こんな事を言いながら80歳まで生きたら笑えますが、私が80歳まで生きたとなるとそれは壮絶な地獄のような人生になるのは明白です。


多分、どこかで自殺してますね。


80歳まで生きる未来は全く見えませんし・・・


その死ぬタイミングがそろそろなのかもしれません。


寿命が35歳かぁ・・・


そう考えれば、悪くない人生だったかな・・・


ここで死ぬなら働かなかったのも納得できるし、良いタイミングかもしれませんね。


35歳で死ぬ運命・・・


まんざら嘘でもないんじゃないかなぁ・・・