30代職歴なし、最近、自分の最後が見えつつあるニートです、こんにちは。
最近、ちょっと思うんですよ。
いつでも睡眠薬が手に入るっていうのが希望になってるなぁ・・・
って。
気が向いたらどうにでもなる感じが救われるっていうか・・・
あ、こう言われてもよく分かりませんよね。
「睡眠薬の何が希望なの?」って。
まぁこのブログを読み続けてきた読者ならなんとなくピンと来るかもしれませんが・・・
アレです、アレ、自殺 です。
いつでも自殺できそうな感じが救われるんですよ。小さな希望なんです。
私、地味な病気で病院通いをしているんですが、多分、いつでも主治医に言えば、睡眠薬を手にする事ができます。
これがさ、自殺願望のある私には希望があるっていうか・・・
というのも、私が実際にしそうな自殺案っていうのが
「極寒の冬、公園のベンチで睡眠薬を飲み、そのまま眠って凍死する」
っていうプランなんですよ。
これが一番楽かなぁ・・・って思いますしね。
首吊りは苦しいし、練炭自殺は準備がめんどくさいし、オーバードースは地獄だっていうし・・・
とりあえず、クスリの力で強制的に眠っちゃって、そのまま死ねたら苦しさも最小限で済むんじゃないかって気がしますから。
なるべく楽に逝きたい、苦しまず、眠るように逝けたら・・・
それを願う私にはピッタリな方法かと思います。
今まで考えた自殺案の中で一番しっくりくる感じがあるので「私の最後はこれかな?」と思わなくもないです。
今の所、心に決めてるのはコレですしね。
それをいつでも叶えられそうな現状が救われるんですよね。
睡眠薬ってなかなか手に入らないとか言われたりしますが、とりあえず主治医に
「最近、眠れないんです、睡眠薬を出してもらえませんか?」
って言えばあっさりと睡眠薬を手に入れることができると思います。
それも、そこそこ強めの睡眠薬をね。
気持ち1つで自殺へ1歩踏み出せるというのが安らぎますね。
これが本当に希望になります。
でも、普通に生きて幸せを感じられる人からすると、疑問もあるかもしれません。
死ぬことが救われるってどういう感覚?
って。
これ、普通に生きていると分からない感覚ですよね。
ほとんどの人は死にたくないと思って、なるべく死からは遠ざかろうとしますから。
その感覚は、まだ生きる希望があるという幸せな感覚なんですよ。
私くらい落ちぶれると、もう生きる希望が見出せなくて、人生を終わりにしたいという感覚に支配されますから。
今回は、そんな死ぬことが希望になるという所まで落ちぶれたニートの気持ちでも書いてみようかなと思います。
まだ死にたくない、なるべく長く生きたい
そう思う方はこういう感覚を持たないように気をつけてもらえたらいいかなと思います。
いつでも人生を終わらせる事ができるというのが希望になる
いつでも人生を終わらせる事ができるどうしようもない絶望人生を生きているとそういった事が希望になってきます。
これは普通の人には分からない感覚ですよね。
死ねる事が希望って・・・
どこに希望があるの?
そんな疑問が出てくるかもしれません。
それは幸せな人生を歩んでいる証拠です、人間として生きる上で大切な感覚ですから。
その感覚を持ち続けられるといいですね。
私みたいに取り返しのつかない地獄みたいなニート人生を歩んでいる人間からすると、そういう感覚はなくなってきます。
生きる事に希望が見出せませんから
生き続けても辛い現実が立ちはだかるだけ、取り返しがつかない、どうにもならない・・・
そんな人生です。
だからこそ、終わりにできるというのが希望なんですよね。
幸せを手にする道が完全に閉ざされていますからね。
生きることが苦痛でしかないんです。
このまま生き続けても苦しみ続けるだけ、無駄な延命をしているだけ、地獄でもがいてただ無駄な苦しみを味わうだけ・・・
そんな現状なので終わりにしたくなるんです。
考えてみてくださいよ、これからの私の人生を。
仮に働けたとしても手取り12~15万あればいいくらいの給料しか手にできず、未来を意識した人生設計ができません。
今を生きるだけで精一杯です。
生きても生きても未来への希望がなに1つないんです。
おまけに治らない持病を抱え続け、普通の生活も送れない・・・まともに生きる事すら困難・・・
貯金もできず、病気を抱え、今日を生きる事がギリギリの、その日暮らしのゴミクズ人生・・・
こんなんさ、生きたいって思える方がどうかしてるでしょ?
生きた先になにがあるの?
何もないよね?
じゃあ死んだ方がマシじゃね?
ってなるんです。
10数年ニートしてきた人生は、もう今も未来もどうしようもない状態になってるんですよ。
ここまでくると本当に取り返しがつかないのをメチャクチャ実感しますね。
ニートが生きようとするっていうのは、病気でいうと「無駄な延命」をしているのと一緒なんですよ。
遅かれ早かれもう死ぬのが決まってるのに、まだ命にこだわるんですか?
あとは苦しみ続けるだけですよ、もう逝かせてあげませんか?
そう言われているようなね・・・
そんな状態が10数年ニート人生を送ってきた人間の未来です。
ホント、ニート人生って取り返しの付かない治らない病気みたいなもん、末期ガンみたいなもんです。
もう普通に生きるとか、楽しくまっとうに生きるという道が閉ざされていますから。
「残されたわずかな人生をどう生きますか?」
そういった判断を迫られてる状態になっているんですよ。
こんな感じで明るい未来がないからこそ、前向きな希望はなく、むしろ人生を終わらせられるという、終わりを迎えられる事に希望を感じます。
安らかに最後を迎えられたら・・・
それこそが今の私が一番望んでいる事ですしね。
でも、安らかに楽に逝ける方法がないからとりあえずダラダラ生きてるわけですから。
睡眠薬で楽に逝けそうという感じはあっても絶対じゃないから怖くてまだ決断できないわけですしね。
もう終わりを迎えるしかない私に、どうにか楽な死に方を提供して貰えたらと思います。
早くこのどうしようもない人生とおさらばしたいよ・・・
安楽死は希望、ものすごく救われる
もう生きる希望はないから楽に逝くことが望みこういう心理状態があるって事は、やっぱり安楽死って大事かもしれないと思います。
このブログで何回か「安楽死を認めてください」ってお願いする記事を書いてきたんですが、またしてみようかな。
安楽死、早く認めてください
さすがに誰でも死なせてあげる「自由安楽死制度」は無理だろうけどさ、病気を理由に死にたい人は死なせてあげてほしいんだよね。
私も地味な病気でずっと苦しんでて、これを味わい続けるなら死にたいって思ってるからさ。
治らない病気って辛いのよ・・・
ずっと足枷をはめられて生きていくようなものだから・・・
健康な人には分からない苦痛だよね。
毎日毎日、何かしらの不調が襲ってくる地味地獄ってさ・・・なってみないと分からないですし・・・
とりあえず、日本でも病気を理由なら安楽死を認めるくらいにはなって欲しいです。
そうなったら最後にやりたい事をやって、堂々と安楽死施設へ向かえるからさ。
この先も苦しみながら生きるのが分かってるから無茶をできず、やりたい事もできない窮屈な人生を歩んでたりしますから。
最後と分かれば思い切ってやりたい事をやって、納得できる人生に出来るかもしれません。
やるだけやって最後が楽に迎えられるならいい人生だったと思えるかもしれませんから。
病気で辛い人に死の選択権を与えてあげる
これは大きな希望ですよ。
このまま生きるのが辛くて苦しんでる人もいるんですから。
まぁ法改正は、メッチャ偉い官僚とか大臣が死ぬしかない重病に掛かって「安楽死したい」って思わない限り無理かもしれないけどね。
人間、自分がならなきゃ分からないものだから・・・
ちょっとデモとか起こして訴えたくらいじゃ何も変わらないしね。
法改正を扱える人が安楽死の重要性を知るような病気にならないとダメってのがさ・・・また希望を失くす要因だよね。
偉い人ってけっこう元気だからさ・・・
どうにかして安楽死が世間の目に触れる機会はないものか・・・
難しい課題ですね・・・
いつでも死ねるから頑張れるって事もある
さっきちょっと書いたけど、安楽死を認めると、最後にやりたい事をやれるっていうのはあるんですよ。「多少無理してでも死ぬ前にやっておきたい事がある」
っていう願望はけっこうありますしね。
でも、死ねない前提でそれをやるとメッチャ体調が悪化して、さらなる苦しみを味わいながら生きなきゃいけないから出来ないんです。
余計に苦しむくらいなら何もせず大人しくしようと思うのが人間ですから。
そんな枷をとっぱらってくれるのが安楽死なんですよね。
「いつでも死ねるなら悪化しても大丈夫、苦しくなったらそのまま死ねばいいんだから、なら最後にやれるだけやってみよう」
っていう前向きな気持ちになったりします。
これ、ニートもそうだったりします。
ダメだったら死ねる、なら最後に思い切って挑戦して、ダメなら死に向かおう
っていう覚悟が決まります。
「いつでも死ねる」
という感覚は、頑張る気力になるかもしれないんです。
ニートの場合、普通に就職活動をしても明るく生きられる未来はありません。
どうしようもない底辺人生を歩むという無駄な延命にしかなりませんから。
だったら死んだ方がいいんです。
でも、そうなった時、死なせてもらえるんなら、最後の最後で人生の大勝負を賭けられるかもしれません。
大企業の面接とか受けまくって、成功したら生きる、失敗したら死ぬ、そういう感じでね。
絶望人間の頑張る気力はこうやって生むのがいいのかもしれません。
「ダメ元で頑張れ」
って言われるけど、ダメだった時のフォローがないから頑張れないんだよね。
ダメだったら死ぬしかないのに、頑張れるかっつー話なんですよ。
「だったらまだ頑張らず、このニート人生をダラダラ生きた方がマシ、こうやってゆっくり自殺する覚悟を決めた方が現実的」
ってなります。
ニートにとって就職活動の失敗はほぼ「死」だから・・・
もうダメだと・・・死ぬしかないんだと・・・それが確定するから・・・
死ぬ気で頑張ってみろよ、死なないから
って名言風の言葉があるけど、これはダメ人間の気持ちがまったく分かっていません。
ダメだった時は死ねた方がいいんだよね。
失敗して死ねずに死んだような人生を歩むくらいならさ。
ダメなら死ねる 終わりにできる
この感覚が1歩踏み出す勇気になるのかもしれません。
最後に本当の覚悟が決まりますからね。
現に、苦しい病気で安楽死の権利を得た人は、いつでも楽になれる安心感から頑張れるみたいですしね。
苦しくなったら逃げられる
これが生きる活力になるみたいです。実際にこの気持ちを持てるっていうのは大きいですし。
「自由安楽死制度」という誰でも安楽死させてあげるよ、みたいなのがあったら私も最後に頑張れるかもしれません。
ダメだったら死ねるってなれば失敗もそんなに怖くないですしね。
ニートが恐れているのは失敗した時に訪れる死んだような人生を歩む事ですから・・・
すでに人生を失敗してそんな人生を歩んでますが、これがどんなに辛い事か・・・
早く楽になりたい、死んだように生きるくらいなら死んでしまいたい・・・
そう思っていますから。
ほとんどのニートの人ってそうじゃないかな?って思うんですよね。
今のニート人生って死ぬしかないのに無駄な延命をしてるようなもんじゃないですか。
どうせいつかは辛い死を迎えるくらいなら、楽に死にたいとか思いません?
でも、いつでも楽に死ねるなら「最後にチャレンジしてから死んだ方がいいかも」ってなる人もいると思うんですよ。
一応、まともに生きられるならまともに生きたいですしね。
そのまともな道に戻れないからニートは辛いわけですし・・・
まともに戻れるなら生きる、ダメだったら死ねる
これ、すっごい希望が湧きますよね。
ダメなら終わりに出来るのか・・・この苦しい人生を歩み続けなくていいのか・・・
そう思えるだけで大きいですからね。
なので、もしかしたら脱ニートするためには、いつでも楽に死ねる安楽死がキッカケになるかもしれません。
最後の頑張りをするニートが現れるかもしれませんから。
私も「安楽死がいつでもできるよ」って言われたら、ダメ元で大企業を受けて、ダメなら死ぬっていう道を選びますしね。
安楽死をキッカケに、最後の最後で頑張れるニートも出てくるかもしれません。
実は、安楽死って色んな人を救える究極の救済法なんじゃないかと思います。
いつでも死ねるなら最後に頑張ってみる
こういう感覚ってけっこうあるので、ちょっと安楽死を検討してもらいたいですね。
ダメだった時のフォローがあるから踏み出せるっていうのはありますから。
安楽死、これを本気で考える日が来るといいんだけどなぁ・・・
最後に
いつでも死ねることが希望になるニートの話でした。どうせ死んだように生きるしかないなら死んだ方がマシ
無駄な延命をするくらいなら楽に死なせてくれ
こんな感じなのがニートですね。まぁニートって括っちゃうとアレかな?
少なくとも私はこんな感じです。
幸せに生きていると、人生にまだまだ明るい希望があるから死とかは意識しませんよね。
そういった方はそのまま生きられるように頑張ってください。
どこかで失敗すると私みたいになってしまうかもしれませんが、そうならないといいですね。
死ぬことが希望になる
っていうのは、死んだような人生を歩んでいる人が持ってしまう感覚ですから。
人生ってさ、そう簡単にはいかなくて、死んだも同然でも死ねないっていう地獄が待っているんですよ。
これがさ・・・ホント辛いの・・・
死んだように生きるっていうのはさ、何の希望もない真っ暗な世界を歩いていくようなもんだから・・・
こうなったらもう死ぬしかないんだから「楽に死なせてください」って思っちゃうってもんですよ。
とりあえず、現状は睡眠薬をいつでも手に入れられるという安心感が救いですね。
やろうと思えばいつでも死に向かえるっていうのは、死ぬしかない人間のかすかな希望ですから。
でもさ、こうなったら本当に終わりだよなぁ・・・
もう宝くじでも当たらないと人生のやり直しはきかないしさぁ・・・
働いても地獄、働かなくても地獄・・・
どうしようもないわな・・・
いつでも睡眠薬で凍死するという自殺プランが実行できる冬・・・
これだけが唯一の希望です。
はぁ・・・病院に行って、本当に睡眠薬でも貰ってこようかな・・・
死んだように生きる人生に疲れたわ・・・
早く楽になりたい・・・