人生詰んだニートのブログ

人生詰んだニートが「日々の愚痴」や「趣味の将棋」について書いているブログです。

認知症はキツイ病気らしい、でも最後が楽なら報われるんじゃないかと思ったりもする

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30代職歴なし、過去記事でやりすぎたニートです。こんにちは。


ニートとして辛い人生を送っていると考える事、それは「楽な死に方ってどんな方法なのかな」という事。


そんな事を考えている内に、1つこれはどうかな?というのが思いついたので、以前こんな記事を書きました。


dame-ningen.hatenablog.jp


認知症になって生きてるかも死んでるかも分からないくらいボケてしまえば、もう楽になれるんじゃないかって感じの記事です。


ニートはボケやすい生活を自然と送っているのでうってつけだと思いましたしね。


まぁ何となく思いついたんで勢いで書いたんですが、これが一部の方を不快にさせてしまいました。


認知症患者にあやまれ」

認知症患者だってずっとボケてるわけじゃない」

認知症は辛い病気」

認知症が楽というのはどうかと・・・」


など、怒ってる方や、冷静にコメントしてくれた方などから数件のコメントを頂きました。


身の回りに認知症になった方がいて、現実を見ている方からのもっともなご意見でしたね。


確かに軽はずみに書いてしまって悪い事をしたなと思います。すみません。


でも、私も何も知らず、何の考えもなしに書いたわけではないんですよ。ただ、過程を忘れてたってだけで。


私の祖父も認知症でしたから。


思い返せば、確かに認知症になってしばらくの間は、記憶が戻っている状態や、忘れている状態、そんなのを繰り返していたような気がします。


徐々に別人になっていく祖父を見ているのは辛い面もありました。


こういう辛い過程を忘れていたのは問題だったなと思います。


でも、私が注目したのは最後なんです。


認知症に完全に脳を蝕まれた末期、祖父はもう自分の意思もないような状態になりました。


多分、もう自分が何なのか、生きてるのか死んでるのか、そんな事すら分かってないんじゃないかって感じにね。


施設で過ごした末期、もうしゃべる事もなく、ご飯を食べさせてもらってようやく食べられるくらい意思というものが欠落していたように思います。


そんな祖父が最後は看取るための病院に入院したんですが、その時はもう意識もほとんどなく何も分からない状態だったと思います。


それで思ったんです、今までは辛かったかもしれない、でも、最後の最後、死んだ事も気付けない状態になり、何も分からないまま死ねたのなら楽だったんじゃないか・・・って。


一番の苦痛である死を意識せずに死ねたんなら、ちょっとは報われたんじゃないかって。


死ぬという一番苦しい部分を体験せずにあの世に逝けたなら認知症になった意味もあったんじゃないかって。


こういうのを見たので、死ぬという部分だけに注目した時、気付かない内に死ねる認知症は「楽な死に方」の1つの候補になるんじゃないか、というのが以前書いた記事です。


ただ、やっぱり過程が辛すぎるのと、認知症患者の人達が苦しんでる現実を考えると、よくない記事だったと思います。


でも、最後の死を楽に越えられるかもしれないという部分だけは1つの希望かと思うんです。


あくまで最後だけ注目したらの話ですけどね。


ニートが恐れているのは「苦しい死」ですから。


苦しんだ先に楽な死があるのなら完全に無駄じゃないんじゃないかと思ったりします。


でも、だからといって率先して認知症になろうっていうのはやりすぎでしたね・・・

ニートの生活も負けず劣らず辛い

ニートの生活もけっこう辛かったりします。


報われない人生を生きるっていうのもそれはそれで一般人の想像を絶する世界ですから。


もうどうでもいい、なんでもいいから楽に死なせてくれ


こんな事を考えているニートもけっこういると思うんですよ。


現に、死にたいニートの方からのコメントはけっこうもらっています。


でも、自殺すると絶対苦しいし辛い思いをするからできない、死のハードルを越えられないんです。


苦しんだ先に最後を迎える決意をしたとしても、またさらに辛い思いをしなければ死を越えられないんです。


ずっと辛いんですね。


そんな報われない人生なら、最後は楽かもしれない認知症になってしまってもいいんじゃないかとか思ったりもするんですよ。


いや、実際に認知症になった方の苦労も知らずに申し訳ないんですけどね。


楽に死のハードルを越えられるなら何でもいい、みたいな精神状態になってたりしますからね。


まぁニートという全うに生きられないちょっとおかしい人間の意見なので聞き流してもらえたらと思います。


楽に死ねる方法は安楽死しかない、でも、その安楽死は日本では認められていない。


それに自殺願望を叶えるために安楽死ができる日はほぼ100%こない。


じゃあ合法的に楽な死を迎えられる方法はないか・・・


そうなった時、浮かんだのが認知症だったんです。


ニートだろうと認知症だろうと、どっちみち辛いけど、最後が報われるなら認知症も悪くないんじゃないかってね。


死さえ楽に迎えられるなら何でもいい、というどうしようもない人間の戯言だと思って無視してもらえればいいです。


相手にするだけ損なので「バカな奴がいたもんだ・・・」とスルーしてください。


ニートって社会に認知されない存在なのでホント報われないんですよ。


そんな辛い生き方をしてるクズの最後の叫びだと思ってください。


最後に

楽な死に方の1つは認知症


そんな事を書いて不快な思いをさせてしまった皆さんにはお詫びします、申し訳ありませんでした。


報われない人生を生きてるゴミクズニートの戯言なんで、あまり気にせず、相手にしない方が健全ですから、今後は無視してください。


ブログなんてどっかの誰かが書いただけのしょうもない一説にすぎないんですから。気にするだけ損です。


ニートはやっぱりゴミクズだったんだと、哀れな目で見てやってください。