30代職歴なし、ネット環境があるのでどちらかと言えば恵まれた方のニートです、こんにちは。
ブログに訪れた人の検索ワードをを見ていると、たまに「ん?」ってなるものがあります。
どういう意図を持って検索したのかな?っていうね。
今回ちょっと気になったワードはこちらです。
「ほんとのニートはblogなんてやらない」
本当のニートはブログなんてやらない・・・本当のニートってどんなニートなんだろ?って思いました。
ブログをやっている私は偽者のニートって事になるんだよね?
一応、けっこうありきたりなニートだと思っていたんだけど・・・偽者だったのか・・・
多分、この検索をした方にとってニートっていうのは
「もっと絶望的で何もやる気が起きなくて暗く辛い人生を歩んでいる人」
というイメージなのかもしれません。
世間にもそういうイメージを持った方がけっこういるんでしょうか?
「ニートというのは絶望的な人生を歩んでいるものだ、ブログをやる元気のあるヤツはニートとは呼べない」
みたいな。
それかこの人自身がニートで、ブログをやっているニートを毛嫌いしてるとか・・・
「自分はものすごく辛いニート人生を歩んでいるのに、ブログをやってるなんて余裕なニート生活を送りやがって・・・こんなのは偽者だ!」
「ニートっていうのはもっと辛いものなんだよ、ブログなんてやる気にならないものなんだよ、なめんな!」
とかそんな感じ?
そんな歪んだ感情からニートを定義した時に、自分を基準にして考えてしまったため「本当のニートはブログなんてやらない」と思ってしまったのかもしれません。
でも、これって1人で孤独に過ごすニートにありがちな思考だったりするんですよね。
孤独ゆえに色々な人の意見を聞く事ができず、自分の中だけで解決するから極端な結論になりやすいんです。
そして「○○は○○であるべきだ」という極端な結論に辿り着きます。
「○○をする人は○○○○だ」とか決め付けがちなのはこういった孤独な人が多いような気がします。
という考えも、私が孤独ゆえに1人で考えた結論なので極端になってますしね。
このように、孤独思考というのは思い込みだけで解決するから「0か100」かという極端な結論になりやすいというのはあるんじゃないかなぁと思います。
自分の中の経験からしか答えを出せない上に、変な意見を思っても誰も否定してくれないので自分のおかしさに気付けません。
そんな狭い世界の結論しか出せないのでこうなってしまうのもしょうがないかと思います。
人間と関わってないから人の柔軟性というのを忘れてしまっているんですよね。
人間を「0か100」かで割り切ろうとするのはおかしな話ですから・・・
とまぁ検索した人がどんな人が勝手に想像してますが、サッパリ分かりませんね。
でも、この「ほんとのニートはblogなんてやらない」っていうワード、分からなくもないんですよ。
ちょっと否定してしまいましたが、全くの的外れではありません。
ある程度余裕がないとブログなんてやりませんからね。
私にとってトップクラスに真っ暗なニート人生だったニート6年目辺りの頃だったらブログなんてやってませんし、やる気もなかったですから。
それで、意外とこのワードからニートの実態が見えてくるんじゃないかなぁ・・・って思いました。
本当にヤバイニートはネット上には存在しないんじゃないかってね。
ブログができるニートは恵まれたニート
まず、1つ確実に言える事は「ブログをやっているニートは恵まれたニート」という事です。ネット回線があり、ブログを更新できる環境があり、自分の考えを吐き出すだけの元気がある。
こんな状態のニートは恵まれてますよね。
本当に辛いニート生活を送っていた昔の私が見たら「元気だよなぁ・・・余裕があるんだろうな・・・」って思っていたと思います。
現に今の私には、ネット環境、部屋、考える時間、働かなくても何とかなる環境、などがあります。
これはニートの中でもかなり恵まれてますよね。
ニートって本当はもっと暗く悲しい絶望に溢れた生活を送ってないとおかしい存在なのかもしれません。
だって自分でお金を稼いでいないんですから。
お金を稼がずとも安定した生活を送れる環境がある、やっぱりこれはおかしいですよね、こんなに恵まれた事はないですし・・・
そう考えると「本当のニートはブログなんてやらない」と思ってしまうのも分かる気がします。
親に見捨てられて普通に生きる事すら困難になった孤独なニートならブログなんてやってない、っていうかできませんからね。
ブログをやってるニートは恵まれている、これは言えると思います。
ニートブログを見ても本当のニートの闇は見えない
「ブログをやっているニートは恵まれている」という事は、ニートブログを見ても本当のニートの姿というか、ニートの闇は見えないんじゃないかって気がします。
ネット上に溢れているニートってニートの中でも恵まれた人間だけであって、ガチで悲惨なニートがいないからです。
ヤバ目に見えるニートブログってけっこう転がってますが、本当に絶望ってほどヤバイ人ってそんなにいないんでしょうね。
けっこう悲惨に見える人もいるかもしれませんが、ネット環境がある以上、まだまだ何とかなってます。
どこか余裕があるというか、のらりくらりと生きていけてるっていうか・・・
その人たちが本当にヤバくなった時は、ブログを更新できなくなるというのは確実です。
つまり、ブログを更新し続けているニートを見ても、本当の社会問題になっているニートは見えてないって事なんですよね。
もしかしたら更新が途絶えたニートブログの最後の記事にこそ、真の絶望が潜んでいるのかもしれません。
ブログをやる環境や余裕を失い、これから本当の絶望生活に入ったニートという事ですから。
ネットで見るニートは社会の闇と呼ぶにはまだ遠い、甘ちゃんニート達なのかもしれません。
真の絶望ニートは検索では見つからない、本当にヤバイニートはネット上にはいないから
こんな感じで、本当にヤバイ社会の闇であるニートは検索では見つかりません。本当にヤバイニートはネット上をいくら探してもいないからです。
今はなんでもネットで調べる時代ですが、その答えがないものもあるんですね。
ネット上のニートを見て、今のニートはこんな感じなのかと思っているのはちょっとズレているのかもしれません。
本当はもっともっと深い闇が潜んでいるから・・・
見る事すらできない所にこそニートという社会問題の核の部分があるんだと思います。
こう考えると、最初の検索ワード「ほんとのニートはblogなんてやらない」も納得する部分がありますよね。
色々なタイプのニートはいるけれど「本当のニート」と呼ばれる「真の絶望ニートの闇」に該当する人はブログなんてできませんから。
ブログをやっているニートは氷山の一角でしかなくて、その奥底には「本当のニート」という闇が隠れているんでしょうね。
ネット上の情報から本当の事は分からない事もあるように、ちゃんと現実の世界で起きている問題を調べないといけないのかもしれません。
ネットで調べて何でも分かった気になっている現代人ですが、見えてない現実世界にこそ本当の事が隠れているのかもしれませんね。
最後に
ほんとのニートはblogなんてやらない最初はけっこうヤバイニートもブログをやってる事実から「ん?」って思いました。
でも、冷静に考えるとこの検索ワードにはけっこう真実を見据えた深い意味があったのかもしれません。
ブログをやってるニートなんてまだまだ余裕のあるニート達だけですからね。
このワードを検索した人は本当にヤバイ状態になりかけのニートだったんでしょうか・・・
ネット上に溢れるまだまだ余裕のあるニートを見て嫌になって、自分と同じ本物のニートを探していたのかな?
でもいなかったんでしょうね・・・
私もけっこうヤバイニートだと思ってましたが、本物の闇の前ではそうでもないのは確かですし・・・
このブログにも辿り着いてくれましたが「こいつもしょせんのん気なニートだ」と思われたのかもしれません。
本当に社会が救わなきゃいけないニートはネット上にはいないんでしょうね。
こうなるとニート問題ってけっこう大変ですね。本当に見えない所にしかいないって事だから。
なんでもネットで分かる世の中っぽくなってましたが、そうでもなかったって事ですね。
ニート問題に関してはネット上には存在しないんだから・・・
病みに病んだ真のニートが無数に隠れている日本は思っているよりヤバイのかもしれません。
でも、真に病んだニートにネット環境を与えて、その人の本音とか現実って聞いてみたいような気もします。
ちょっとブログをやってもらいたいような・・・
どんな事を書くんだろ?どれくらい病んでたんだろ?って。
世間のニートブログを消し去るくらいのインパクトがあるんじゃないかと期待してしまいます。
「本当のニートはブログなんてやらない」って話だったけど、なんとか立ち上がって、ブログ、やってほしいなぁ・・・
本当のニートが書くニートブログ、ちょっと見てみたいです。