人生詰んだニートのブログ

人生詰んだニートが「日々の愚痴」や「趣味の将棋」について書いているブログです。

キレイな死に方を探している内は多分死なないよね、自殺すると大抵酷い死体になるから

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最近、死にたい関連の検索で気になるワードがありました。それがこちら。


・キレイな死に方
・キレイに死ねる方法
・自殺 キレイ


死のうと思っているんだけど、死体がグチャグチャだったり汚かったりすると嫌っていうタイプの人がいるみたいです。


自殺してもキレイな姿を保ちたいみたいなね。


まぁ分からなくもないですよね。


死んだらパッと消え去るわけじゃなくて、自分の死体を処理する必要があるわけですから。


でも、その処理は自分ではできず、誰かの手によってなされます。


つまり、絶対誰かに見られるわけです。


死に様ってけっこう悲惨だったり、ヘタすると恥ずかしい何かがあるかもしれないし、気になったりしますよね。


最後の最後で恥をさらすのは嫌


こんな感情もあるのかもしれません。


現実問題、葬式とかで死体ってメッチャ見られるから・・・


自分の最後の印象が死体の印象になるわけですから、そこでグチャグチャだったらちょっと悲しいかもしれません。


傍から見れば


死んだら何も分からなくなるんだから関係なくね?


と思いがちかもしれませんが、当の本人にしてみたらそうでもないんですよね。


意外と人間の羞恥心みたいなのを感じる現実的で面白い検索ワードだなと思いました。


死を意識するほど全てを捨てようとしているのに恥はかけないっていう不思議な感じ。


そんなワードから、死んだ後の現実やちょっと思った事があるのでちょっと書いてみようと思います。

死体って人目にメチャクチャさらされるんだよね

死んでそれまでと思ってる部分もありますが、現実的にはそうでもないんですよね。


真の人生の終わりは火葬されて骨になってお墓の中に入るまでなのかもしれません。


死んだだけでは本当の意味で人生は終わってなくて、骨になってこその終わりですしね。


この骨になるまでっていうのが意外とやっかいだったりします。


その過程の中で、死体ってメッチャ見られますから。


お葬式とかに参加した方なら分かると思いますが、死体を見る機会は以外と多いですよね。


最後に棺に花を入れたり、好きだったものを入れたり、最後の面会みたいなので顔を見るイベントがあったり・・・


祖父の葬式の時、こうやって何度も死体を見る機会があったんですが、自分だったら嫌だなと思いました。


無抵抗な自分をこんなに見られるなんて・・・なんて恥ずかしいイベントなんだ・・・ってね。


ここまで死んだ後の自分をさらす事があると、死んだから終わりって感じではない現実がありますね。


死んでからも本当の最後を迎えるまでの死後の人生はあるという感じかもしれません。それも自分では干渉できないどうしようもない人生が・・・


見世物になるっていう究極に恥ずかしい最後ですし・・・


最後にこれだけ見られるんですから、汚い最後じゃ安らかに眠れない感はありますよね。


「うわっ」って目をそらしてしまうような無残な姿、恥ずかしい姿をさらすようじゃ、死んでも死に切れない感はあるかもしれません。


だから最後はキレイに死にたいっていう願望があるのかもしれませんね。


最後の最後、自分では抵抗できない地獄の儀式・・・そこを無難に乗り越えてこその安らかな死なのかもしれません。


最後に死体をメッチャ見られる・・・


これは日本の埋葬システム的に避けられない事実なので、死に様を意識するのは変な事じゃないのかもしれませんね。


キレイな死体は送る側に雑念を抱かせないメリットがある?

この話を書いていて、学生時代、事故で亡くなった友達を思い出しました。


その時の死体は顔に傷があったり、体の損傷が激しかったりで痛々しかったのを覚えています・・・


おせじにもキレイな死に方とは言えませんでした。


こういう悲惨な死をとげると送る側にちょっと複雑な気持ちが出てきます。


痛かったんだろうな・・・苦しかったんだろうな・・・まだ生きたかったんだろうな・・・


無念さが伝わってきて色々な事を考えてしまうんです。


良い最後を迎えたとはとても思えませんから。


送る方も安らかな気持ちで送る事ができません。


そう考えると、キレイな状態で死ねるというのは送る側に雑念を抱かせないメリットはあるかもしれません。


キレイに死ねたというのは幸せな最後を遂げたという証拠かもしれませんからね。


最後に安らかな寝顔みたいな状態で逝っていたら、良い人生だったのかな・・・って思えるかもしれませんから。


お互いに安らかな気持ちになるためにはキレイに死ぬというのは大切な事かもしれませんね。


こういう事を考えてる内は自殺しないよね

こういった事があるのを考えると


死ぬならキレイに死にたい


これはまぁ分からなくもない感情ですね。


安らかな最後を迎える条件の1つとして大切な要素かもしれませんから。


自殺するにしても最後まで良い感じで終わりたい、それは人間なら思う感情かもしれません。


でもこういう事を考えてる内は自殺しないよね。


自殺ってほとんどが悲惨な死体になるからね・・・代表的な死に方の首吊りとかは特に酷いらしいし・・・


キレイに死ぬって言うのはほぼ不可能に近いです。


それに、本当に死にたくなると何もかもどうでもいいっていう感情になるから・・・


「もう死ねれば何でもいい、死ぬ事しか考えられない、あとはどうでもいい」


って感じでね。


キレイに死にたいとか考えている内は多分自殺なんてしないですね。


そういった雑念を全て払拭できた時、初めて死に向かえるんだと思います。


なので、この「キレイな死に方」を検索した人は他の死にたい系のワードより平和な感じがします。


まだ本気じゃない人なんだろうなって。


死ぬためには「何もかもどうでもいい」っていうくらいの絶望感は必要ですからね。


「死んだ後、人に死体を見られるのが嫌だなぁ・・・」


とか考えられるくらい先を見る余裕がある内は大丈夫だと思います。


キレイな死に方、これは死にたい系の中でも軽い部類のワードなのかもしれませんね。


自殺するならキレイには死ねないので、そのまま生きるのが最善の道ですよ。


人生をまっとうして安らかに死にましょう。


最後に

死にたい系のワードでもちょっと異色の「キレイな死に方」というワードの話でした。


死後の事を気にするなんて、まだまだ生きられそうだなと思います。余裕がありますからね。


見栄とか恥とかそういうのを感じている内は大丈夫です。


「キレイな死に方」と検索した自殺願望者は黙って生きるのが最善ですよ。自殺する以上、ほぼキレイには死ねませんから。


でも、キレイな死に方を探して検索してるんですからこれで終わるのもちょっとアレですね。


一応、候補を1つだけ挙げるとすれば「凍死」というのはあるみたいです。


凍死した死体って安らかな表情をしてるって言いますし、キレイに死ぬなら凍死はありかもしれません。


ただ、それまでの過程が厳しすぎるのでオススメはできませんけどね。


自殺したいのにキレイに死ぬとか甘い事を考えている内は「大人しく生きる」これが最善です。


もっと絶望して「もうどうでもいい、死ねれば何でもいい」と思えるくらいになったら死を意識しましょう。


そうじゃない内は本当に死にたいとは思ってない状態なので、普通に生きてればいいんじゃないかと思います。


キレイに死にたかったら人生をまっとうして普通に死ぬ、これが一番ですね。