人生詰んだニートのブログ

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人が認知症になる意味を聞いてちょっと納得した話

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もう10年以上前の話ですが、私の祖父は認知症でした。


今は亡くなってしまいましたが、後半の方はほとんどしゃべる事も動く事もなく大人しい状態で、自分が誰かも分からないような感じで、食べるか寝るかしかできないようなとても悲しい状態でした。


認知症のやっかいな所は、普通の病気みたいに苦しいとか痛いという自覚症状がなくて、自分でもよく分からないうちに進行し、そのまま自分の事すらよく分からなくなってしまう所だと思います。


最初の内は物忘れがひどいとか自覚はあったみたいですが、それすら忘れてしまった時はもう手遅れでしたしね。


祖父の認知症は、ある日突然発症して、ジワジワと脳を蝕み、ゆっくりゆっくり進行して、徐々に別人に変わっていく感じでした。


認知症になった祖父を最後まで看病していた祖母から聞いた話では、最初に祖父がおかしくなっているのに決定的に気付いたのは、祖父が一人で出かけた時だったそうです。


祖父が「駐車場に停めた自分の車が無い、盗まれた」と警察を呼んだ事があったそうです。


本当だったら大変な事態ですが、この時、祖父の乗っていった車は駐車場にありました。しかし、見つかった自分の車を見ても祖父は「これは俺の車じゃない」と言い放ったそうです。


警察から連絡が来た祖母が現地に行き「これは家の車だよ」と言っても「いや違う、こんな車知らない」と完全に車の事を忘れていました。


この時に、これはただの勘違いや物忘れではないと分かったそうです。それで病院へ行って祖父の異変が現実の物になりました。


それからの祖父は年単位で徐々に様子がおかしくなっていきました。


年に数回しか会わない私には、会うたびに別人になっている感じだったので進行具合がよく分かりました。妻である祖母の事は覚えているんですが、私の事は記憶から消えてしまったようで、他人行儀になっていましたからね。


それに性格も変わって、本当に別人になっていました。


私には10歳以上年の離れた弟がいるんですが、祖父はその弟を小さい頃からものすごく可愛がっていたんです。私が小さい頃も優しかったですし正常な祖父は子供が好きだったんでしょうね。


弟が来ると分かれば、普段買い物なんて好きじゃないのにお菓子を買いに行って用意して待っていたり、一緒にドライブへ行くのが楽しみで色々な所へ行ったり、もうホント可愛がっていました。


しかし、認知症になった祖父は、急に子供が嫌いになってしまったんです。今まで懐いていた弟をかまうことも無くなり、人に会うのを避けて部屋にこもりっきりになってしまいました。それに何となく短気になりました。


この時、人の性格って記憶で成り立ってるんだな・・・なんて思ったのを覚えています。性格って今まで生きてきた積み重ねの集合体であって、生まれつきのものじゃないんだって。


別人のようになり人を避けるようになった祖父は出かける事もなくなり、ここから悲惨な認知症生活を送る事になりました。


食欲と睡眠欲にのみ支配されているような感じで、そこにあるお菓子はバクバク全部食べてしまうような底なしの食欲で、食べた事も覚えてないようになり、食べ終えたら部屋にこもるという何か怖い感じになりました。


そんな生活を続けていた祖父も、体が弱ってきて寝ているのが基本になるようになりました。この頃はすでに頭も相当おかしくなっていて何が何やら分かってない感じだったと思います。


何でも口に入れてしまう赤ちゃんみたいな状態でしたしね。変なものを飲み込まないように注意しなければいけませんでした。もうトイレも行けずオムツ生活だったから祖母も大変だったと思います。


基本は祖母一人での介護だったので、ほぼ自分で動けなくなった祖父を看るのは無理だという事になり施設に入る事になりました。


施設に入った祖父は、鏡に映る自分を見て「人がそこにいるのに(鏡の)中から出て来ない」とか言い出すほどチンプンカンプンで鏡に映るのが自分だと認識できていませんでした。


鏡に映る自分を自分と認識すると言うのは実はすごい事で、動物は鏡に映った自分を自分と認識できていないという話を聞いた事がありましたが、認知症になるとそういう知能がものすごく落ちるんだと分かった瞬間でした。


施設に入ってからの祖父はさらに弱っていき、最初に書いたようにしゃべる事もなくなり食べるか寝るかのみの本当に大人しい状態になっていきました。もう自分の意識なんてなかったんじゃないかと思います。


その後、今までは何とか食事の時はベッドから車椅子でテーブル席へ移動して食べていましたが、それもできなくなり本当に寝たきりになりました。


そして、寝たきりになり弱ってしまった祖父を施設では対応しきれなくなり病院へ移り、点滴で栄養を補給するだけになり、数年後、最後は看取るための病院へ移り最後を迎えました。


私はたまに会うだけだったので内容が大雑把でしたが、認知症になった祖父の大まかな流れはこんな感じだったと思います。ずっと看てきた祖母にとっては色々あって細かい苦労もいっぱいあった長い長い介護生活だったと思います。


祖父はずっと頑張ってきたので老後を穏やかに楽しく過ごして欲しかったですが、認知症になってしまい最後は自分の事すら分からなくなってしまうという悲しい結末でした。これだけは残念でしたね。


友達から聞いた認知症になる意味にちょっと納得した

友達と話してる時に、認知症だった祖父の話をする事があり、その時に友達が言っていた認知症になる意味の1つの説を聞いてちょっと納得した自分がいました。


その説と言うのは「人が認知症になるのは、死の恐怖から逃れるため」らしいです。


これを聞いた時、あんなに周りにも苦労をかけてしまい自分の事も分からなくなってしまいメリットなんて何一つないと思っていた認知症に、一つだけメリットを与えるとするなら、確かにそうかもしれないと思いました。


私は死ぬ事が怖くて自殺できない人生に希望がないクズニートなんですが、その死の苦痛を感じずに逝けるという部分だけは確かに認知症のメリットかもしれないと思いました。


いや、認知症にはなりたくないですよ。自分が誰かも分からなくなり、誰かに何か酷い事をしてしまうかもしれないし、良い事ないですから。


私はまだ30代と若くて寿命での死を意識する事はないかもしれませんが、人生を70年近く歩んできて、そろそろ本当に死が近づいてきたという人にとっては死というものが現実味を帯びてきてものすごく怖いものなのかもしれないと思いました。


そんな死への恐怖から逃れるために最後の抵抗として認知症という病気になるのかもしれないなって思いました。


祖父は亡くなる瞬間は苦しさを感じずに済んだんでしょうか・・・何も分からず苦しまず死を迎えられたんだとしたら認知症になった意味もあったんじゃないかと思います。


最後の最後を苦しまなかったというのは唯一の救いだったんじゃないかなと。


というかそうでなきゃ報われませんよ。認知症なんて最悪の状態になって人生の最後を迎えるのに苦しかったら何も意味がないじゃないですか。


祖父が死の恐怖を味わう事なく人生を終わりを迎えられた事を願います。


最後に

友達が言っていた認知症になる意味という話をふと思い出して、認知症で亡くなった祖父の事を思い出したのでちょっと書いてみました。


祖母は本当に大変だったと思います。何年だったかなぁ・・・祖父が認知症になってから亡くなるまで・・・かなり長かったと思います。ずっと介護するってのはどれだけの苦労だったのか・・・


祖父が施設に入ってからは私も祖母と一緒に会いに行っていたので簡単な部分をちょっとは関わったんですけど、もう何も分からなくなっている祖父を見るのは何とも言えない複雑な気持ちでした。


あんなに元気だったのに、数年でこうなってしまうなんて・・・認知症は恐ろしいです。


何も分からず過ごす数年間ってどんな感じだったんだろ?認知症ってどんな感じなんだろ?とか思ってました。


実際に認知症になった祖父を見ていた立場としては、寿命で死ぬのなら最後は苦しんでも良いからまともな意識を持ったままでいたいような気がします。その分、色々楽しかった事もあるんでしょうし。


誰もが逃れられない死というものを苦痛なく乗り越えるために認知症になるという説はちょっと納得しましたが、なりたくはないかな・・・


あと40年くらい生きて死が近づいてきたらどう思うかは分かりませんけどね・・・やっぱり死と直面すると怖いからなぁ・・・


まぁ寿命の死の苦痛から逃れるためなら認知症じゃなく、自分で望んで安楽死する方がいいかな。最後はそうできればベストですね。


認知症になる意味について思った事を長々と書いてきましたが、何ていうか辛かった事にも意味を持たせると少し救われた気持ちになる事ってありますよね。


認知症で亡くなった家族をお持ちの方も、最後は楽に逝けたと思えれば少しは救われた気持ちになりませんか?


何の意味もなく苦しんだと思うよりは良いんじゃないかなと思います。意味を考えるってそういう面で役に立つんじゃないかと思いました。