人生詰んだニートのブログ

人生詰んだニートが「日々の愚痴」や「趣味の将棋」について書いているブログです。

生きる価値がないニートが「生きる意味」について真剣に考えたら1つの答えが出た

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30代職歴なし、意外と生きる楽しみは持ってるニートです、こんにちは。


ニート生活も長くなってくると


てきとうな時間に起き・・・

飯食って・・・

ネットして・・・

飯食って・・・

ネットして・・・

眠くなったら寝る・・・


みたいな他人と関わらないゴミ生活をループするようになりますよね。


そうなると


あまりにも存在価値のない自分


に気づく瞬間が訪れ


「なんで生きてるんだろ・・・」

「生きる意味も価値もないのに・・・」

「もう死んだ方がいいよな・・・」


っていう悩みに直面して


「死」


を意識するようになりませんか?


気が付けば


「死にたい・・・」

「死んで楽になりたい・・・」

「できれば今すぐ消え去りたい・・・」


という考えが常に頭の片隅にある状態になり


「もう自殺しよう・・・」


と思うけれど怖くて自殺に踏み切れず・・・


またダラダラと過ごすゴミみたいな日々に戻り・・・


ふと現実と向き合った瞬間・・・


「なんで生きてるんだろ・・・生きる意味も価値もないのに・・・」


という悩みに戻ってくる永遠に抜けられないループを繰り返してたりしません?


こういうループはメンタル的に病んでいくから良くないことに思うかもしれませんが、今の自分を肯定できず死にたくなるのは


まだ現実を見る力が残っている証拠


なので悪い兆候ではありません。


無価値な存在を処理する


という考えは間違ってませんから。


ニートが死にたくなるのは正常なんです


ただ、現実問題 死ぬのは怖いので


「無価値な人間に生きる意味はあるのか・・・」

「自分の存在価値って何?」

「そもそも生きる意味って何だろ?」


といった哲学的な悩みに変換して答えの出ない問いをし続けたりしがちだと思います。


ここまでくれば


現実を理解しつつもそれと戦おうとしない


という一人前のニートになった証拠です。


私もこんな感じで20年近く現実逃避しながら


生きる意味


について定期的に考えたりしちゃうんですが・・・


頭の中に溜まったモヤモヤをメモに書きだしたら1つの答えが出たのでそれを記事にしようと思いました。


生きる価値がないニートが「生きる意味」について考えたら見つかった結論にちょっとお付き合いください。


「生きる意味」は2種類ある、その内1つは気にしなくていい

「生きる意味」


を問われた時、ほとんどの人は


根本的な存在価値

生きがい(生きる楽しみ)


の2つについて考えると思います。


「根本的な存在価値」というのは


「自分が存在している意味って何だろう・・・」

「この世に存在する価値があるんだろうか・・・」

「自分は何のために生まれてきたのか・・・」


みたいな客観的な評価を必要とするもので・・・


「生きがい」というのは


「これがあるから生きていて楽しい」

「このために頑張れる」


みたいな主観を中心としたものです。


生きる意味を考える場合、これらをゴチャ混ぜにして考えがちだと思いますが・・・


そうすると答えがでないので、まずは別ものとして分けるのが大切になります。


そして分けて考えた結果、


「根本的な存在価値」は気にしなくていい

「生きがい」だけ持ってりゃいい


という結論に辿り着きました。


この辺をもう少し詳しく書いていきます。


「根本的な存在価値」は自分で作り上げるもの

「根本的な存在価値」は気にしなくていい


と思ったのは


ニートのままでは考えるだけムダだからです


だって


存在価値は自分で作り上げるものだから!


何もしてないニートのままでは見つかるわきゃないんですよ。


存在価値っていうのは


何かを成し遂げた時・・・

大きな幸せを感じた時・・・

死ぬ時に人生を振り返った時・・・


「自分はこのために生まれてきたのかもしれないな・・・」


って思えたり


「あなたは〇〇をやるために生まれてきた」


って言われて、自分でもそう思えた時点で成立する思い込みだからです。


ちょっと考えてパッと見つかるもんじゃありませんし、一生懸命 生きながら納得する理由を探すものなんですよ。


大前提として最初から「根本的な存在価値」がある人なんていません


0の状態から作り上げた人だけが見つけられる奇跡みたいなもんです。


そう考えると、ニートの分際で


「自分は何のために生まれてきたのか」

「この世に存在する意味ってなんだろう」


とか考えてる時点でおこがましいんですよね。


あるわけねぇじゃん、そんなもん

存在を否定する理由しか出てこねぇよ


考えるだけ不毛なんです。


行動が伴わないと見つからないからニートの今はどんなに考えても見つかるわけないのよ。


それなのに


「自分にはどんな存在価値があるのか」


なんて考えてたら永遠に出られない迷路をさまよってるようなもんじゃないですか。


だから、この悩みを持ちたいなら頑張るっきゃないんです。


ニートでいる以上、自殺する理由しか見つからないので考えるのはやめましょう。


そもそも存在価値なんて必要なかったりする

もう1つ大切な話として


存在価値なんて必要ない


っていうのもあります。


学生の頃、道徳の時間とかに「生きる意味」を考える授業ってありませんでした?


なぜ自分は生まれてきたのか

何のために生きているのか、生きていくのか


みたいな存在価値の部分を問われることが1度はあったと思います。


その時、誰一人として納得のいく答えって出せませんでしたよね?


仮に答えられた人も「特に根拠のないそれっぽい思い込み」で終わっていたと思います。


ということは


あなたには存在価値がない


って言われたようなものじゃないですか。


それなのに今でもシレッと生きている・・・


ってことはさ


生きる上で存在価値なんていらない


ってことなんですよ。


見つかれば理想だけど、別になくていい

だって生きる上で必要ないから!


これが世間で言う「存在価値」を前提とした「生きる理由」に対する私なりの答えです。


ニートが自殺願望を持つのは


どんなに考えても生きる意味(自分の存在価値)が分からないから


というのがあったりしますが


存在価値を前提とした生きる理由ってこの世に生きてるほとんどの人が分かってない難問だったりします


そんな難問が解けないから死ぬって・・・


狂人的な天才数学者かよ!


天才すぎて並の人間には分からない苦悩で自殺するパターンってたまに聞きますが、それと近いことをやってるんじゃね?


でもニートって天才じゃないじゃん?


じゃあ身の丈に合ったゴミっぷりでダラダラ何も考えず生きた方が健全だよね。


存在価値が分からなくても黙って生きてりゃいいんです。


だってみんなそんなの持ってないから


もし「生きる意味」について「存在価値」を前提にして悩んでるならやめましょう。


大事なのはそっちじゃなくもう1つの方だから・・・


「生きがい(生きる楽しみ)」はあった方がいい

自分の存在価値のなさに落ち込んで


「死にたい」


とか言いまくっていた私がダラダラ生き永らえてる理由は


存在価値が見つからないのはそこまで重要でもないから


だったりします。


ただ


「もしコレがなくなったら死ぬかもしれねぇなぁ・・・」


と思ってるものもあります。


それが


生きがい(生きる楽しみ)


です。


「生きがい」っていうのは


・仕事にやりがいがある
・友達や恋人と遊ぶのが楽しい
・欲しい物がある
・毎日の晩酌が楽しみ
・趣味が楽しい
・見たい映画がある
・子供(孫)と遊びたい


みたいな「身近な楽しみ」や「充実感」のことで、先ほどの「存在価値」と比べると小さい話に感じますが・・・


どっちかっていうとこっちの方が大切です


これは幸福度に直結するので1つも楽しみがないとマジで生きる意味が分からず死に直結しますから・・・


たぶん、生きる楽しみがない人の方が自殺に踏み切りやすい気がします。


私自身も持病がメッチャ悪化して精神的にも病みに病んだ時は楽しみもクソもなくて危なかったしね・・・


ベッドから動く気力もなくて何もできなかったのが生き残った理由だったってのがもう・・・


そこを乗り越えてちょっとずつ「楽しみ」が持てたから持ち直した感はあります。


今の私が生きてるのも


「ONE PIECE」の最終回を(できればアニメ版で)見たいから


だったりしますしね。


趣味の将棋でも


「これを見なきゃ死ねない」


と思っていた


藤井聡太先生の八冠独占


は見届けたけど、もう1つの


羽生九段のタイトル通算100期


を見届けるまでは生きてたいとか思ってますし・・・


傍から見たら小さなことでも当人からしたら外せない楽しみこそが生きる理由になるんです。


だからこそ「生きる意味」を考えるなら「存在価値」よりも


手の届く所に楽しみがあるか


の方が重要になります。


こういった要素がなくなった時、マジで生きている意味もないので自殺に踏み切れますしね。


この漠然と持っている


「死ぬのは惜しい感じ」


こそが生きる意味に繋がる「人が死なない理由」なのかもしれません。


だからもし


もう「生きがい」なんて無い・・・


っていう所まできたニートは真剣に死と向き合った方がいいかもしれませんね。


ニート的に「生きる意味」を考えた末の結論

「生きる意味」には


・根本的な存在価値
・生きがい


の2つがあるけど、大切なのは「生きがい」の方になります。


「根本的な存在価値」は


最終的に「自分はこのために生まれてきたのかも・・・」と思えれば幸せな「結果論」で・・・


「生きがい」は


この先を生きていくための「原動力」になる要素だから・・・


現実的な話として「存在価値」はなくてもいいけど


「生きがい」がないとマジで生きてる意味が感じられなくて死にたくなる・・・


だから「答えがないもの」で悩み苦しむよりは「身近な楽しみ」を見つける方が大切です。


ニート的な結論としては


「生きる意味」で悩むなら「存在価値」より「生きがい」を探せ


って感じになりますね。


もし「存在価値」への答えが欲しいなら


「俺がいないと店が回らねぇよ」


とか言ってる勘違いバイトリーダーみたいに「狭い世界でのみ通用する自己満足」でも探してください。


最後に

長めの記事にお付き合い頂きありがとうございました。


ここまで「生きる意味」についてダラダラ書いておきながらこんなことを言うのもなんですが


「生きる意味」なんて考えない方が幸せだよね


最後の最後で元も子もないことを言ってふざけてるわけじゃなくて


「生きる意味」を考えてない時の方が「生きる意味」を漠然と感じてるんだろうなぁ・・・


って記事を書いてる途中で思っちゃったのよ・・・


この手の話題を深刻に考える時ってネガティブな時だったりするし、意識してない時の方が幸せだしね・・・


もし考えるなら「生きる意味」を意識してなかった時の自分を思い出す方が前向きな答えが見つかるのかもしれません。


ちょっと良い感じに締められてね?


じゃあ、最後にニートブログらしくニート向けにまとめます。


もしネガティブ思考が蔓延して「生きる意味」について考えだしちゃった時は


「存在価値」は無いのが当たり前

「生きがい」が無いなら死にたくて当たり前


というのを前提に


「死にたいのはコレといった楽しみがないからかな?」


くらいに捉えて


「Youtubeを見るのが楽しいからまだ死ななくていっか」


って感じの落ち込み過ぎない終着点を見つけるのがいいですよ。


いくら考えたってコレといった答えなんて見つかりませんから・・・


ある程度は覚悟を決めておくのが大事とはいえ、死ぬことを考えるのは完全に楽しみがなくなってからでも遅くないしね・・・


まだ「死に方」を真剣に考えなくていいだけマシと思いましょう。


気が付いたら5000字近くになってら・・・


あ~ダラダラ文字を打ってスッキリした。


こういうのも生きがいの1つかもしれないなぁ・・・