東京オリンピックが終わって、何やら難しい問題が表面化したというニュースを見ました。
それが「トランスジェンダー」と呼ばれる性に関する問題です。
ちょっと調べたらトランスジェンダーは性同一性障害とはまた別のものらしくイマイチよく分からないんですが・・・
簡単に言うと
体は「男性」だけど心は「女性」
体は「女性」だけど心は「男性」
のように
心と体の性が一致していない人
を大きくまとめた言葉という感じでいいんでしょうか・・・
ニュースとかネットの情報を見た感じ、
・学校
・仕事
・スポーツ
・医療
・結婚
・トイレ
・銭湯
などで性がハッキリしていないことが影響し、普通の人には分からない生きづらさがあるというのが問題になっているみたいです。
トイレや銭湯なんかは性による犯罪に繋がるので難しい問題ですね。
いくら心が女性だって言っても、体が完全に男性の人が女子トイレや女湯に入っていったら事案ですから・・・
見た目ではハッキリ分からないっていうのがヤッカイな所だと思います。
ただ、スポーツに関しては問題の解決が簡単だと思うんですが、そんなに悩む問題なんでしょうか・・・
・スポーツでは何で男女を分けているのか
・スポーツでのトランスジェンダー問題は何が問題になっているのか
を冷静に見ればすぐに答えが出る気がします。
「スポーツだけは簡単に解決しない?」
って思ったのでちょっと意見を書いてみたくなりました。
他の問題は難しいので、とりあえず今回はスポーツに絞って私が思った簡単な解決法を挙げてみたいと思います。
スポーツにおけるトランスジェンダーの問題点
スポーツにおけるトランスジェンダー問題で抱えている課題は多分これだと思います。女性アスリートが不利になるかも
もしかしたら他にも色々あるのかもしれませんが、大きな問題はこれじゃないでしょうか。
私が見たスポーツでのトランスジェンダー問題のニュースをザックリ言うと、
「体が男性」だけど「心は女性」の人
が女性として女子枠で参加した結果、かなりの力の差を見せつけてしまい
「あれは男だろ・・・」
「女子の方に出るのはおかしい」
というクレームが入っているような感じでした。
要は、スポーツにおけるトランスジェンダーの問題は
「体が男なんだから男の方に出ろや!」
っていう女性アスリートからの悲痛な叫びだと思うんですよね。
多分、逆だったらそんなに問題になってないと思いますし・・・
「体が女性」だけど「心は男性」の人
は、男子枠で出たとしてもおそらく性差による身体的な能力差で勝てないので、気の毒ではありますがそこまで問題にならないと思いますから。
つまり、スポーツでは
「性の不一致を利用したチートのような感じになる」
のが問題なわけです。
当事者じゃないのでそこまで詳しくないのでアレですが、多分、一番大きく取り上げられているのはこの問題だと思うので、これを解決すれば少しは丸く収まるんじゃないかと。
となると、トランスジェンダーの人が
「男子と女子のどちらに出ればいいのか」
がハッキリすればOKなわけです。
そう考えると、スポーツで男女を分けている理由を考えればすぐ分かります。
スポーツで男女を分けている理由
男女平等が訴えられている世界情勢の中、なぜスポーツでは男女を分けているのか。それは・・・
性差による肉体的な能力差により女性は男性より弱い
からです。
あ、「女性が弱い」って言うとアレなので「男性の方が有利」って感じに言った方がいいのかな?
けっこう差別的な発言になってますが、基本的に筋力を必要とするスポーツでは女性が不利な立場にあるのは事実なんですよね。
素人の男性には勝てても、同じスポーツをやっている男性と戦えば多分9割は圧倒的な差で女性が負けますしね。
要は、生物の性質的にオスの体の方が筋肉が付きやすく、身体能力がものをいうスポーツでは男性の方が有利で勝負にならないから男女を分けているんです。
そうしないと女性はスポーツで結果を出すことが困難になってしまいますから。
「でも、アスリートは最強を目指しているんだから、最強の人間を決めるために男女を分けなくてもよくない?」
という意見もあるかもしれません。
「そうすれば差別がなくて平等じゃん?」
みたいなね。
でも、男女を分けている理由にはもう1つ大切な理由があると思うんです。
それは「女性のプロスポーツを存続させるため」です。
スポーツを高いレベルで存続するためには興行としてお金を払って見てもらえる価値が必要で、1つのエンターテイメントとして成立させる必要があります。
そうなると、すべてのスポーツで男女を混ぜて最強の人間を決めようとすると圧倒的な力の差で勝負にならない女性がスポーツを続けるのが困難になってしまうんです。
宣伝にもならない弱い選手にスポンサーが付かないように、女性アスリートに投資する価値がなくなってしまいますから。
見てもらえるだけの強さがないので、女性がプロとしてスポーツで生きていく道が大きく閉ざされてしまうかもしれません。
そうならないために男女を分けているというのはあると思うんですよね・・・
女性のスポーツをエンターテイメントとして魅せられるレベルを保つために必要なことだと思います。
ボクシングや柔道などが体重で階級を分けているのも似た感じなんじゃないでしょうか。
本来、最強のボクサーや柔道家を決めるなら階級なんかいらず、全員が「最強という1つの優勝枠」を争えばいいのに、そうしないのは「対格差による不利を排除するため」と「ショーとして成立させるため」でもあると思います。
圧倒的体格差という越えられない壁をなくすことで多くの人に参加してもらえる上に、ショーとして成立させることでお金も得られればプロスポーツとして存続できますから。
要は、スポーツというのは1つのエンターテイメントであり、ショーとして魅せられないと経営難になって存続できないので、ある程度レベルを合わせる必要があるということです。
そのために男女を分けたり階級を分けていると考えれば答えは出るんじゃないでしょうか。
つまり、スポーツでのトランスジェンダー問題を解決するには、生物的な能力差が対等になるように、
「体」が「男性」か「女性」か
で判断して分けることが大切になります。
そう考えると答えは簡単ですよね。
体が男なら男子枠で出ればいい
スポーツでのトランスジェンダーで問題になる「体が男性」で「心が女性」
の人はスポーツの観点で見た場合、男性の体による能力を重視して
「男性」として扱い「男子枠」で参加する
ことで問題は解決します。
「心は女性」でも「身体能力が男性」である以上、スポーツが男女を分けている都合に合わせて「男性枠」で出るしかありません。
そうしないと女性が不利になってしまいますから。
スポーツは身体能力が重視される世界なのでこれは避けられません。
ただ、これだとトランスジェンダーの人に差別的な感じがあるという意見もあるかもしれないので、もう1つシンプルな解決法があります。
「男子」「女子」「ハーフ」の3つに分ければいい
この問題を見た時、私が最初に思ったのはこういった意見でした。「3つに分ければよくね?」
もう人間の性別を「男」と「女」の2つに分けるのは時代遅れになっているんじゃないかと思ったんですよね。
これだけ「男」と「女」の狭間をさまよって苦しんでいる人がいるということは、人間の性は2つではなく3つに分かれる時が来たんじゃないでしょうか。
もっと柔軟に考えて「男」と「女」の2つにこだわらず
「男と女の間には3つ目の中性的な性がある」
という概念を生み出し、
・男
・女
・ハーフ
の3つに分ければけっこう簡単に解決すると思います。
この手の問題でよく聞く言葉、
多様性
をそのまま実現すればいいんじゃないでしょうか。
「多様性」という言葉を使う割には過去の形に縛られて狭い所に押し込もうとしている「画一性」思考の専門家が多い気がします。
もうシンプルに多様化してしまえばいいんですよ。
「あなたはハーフです」
と新たな性の存在を認めてしまえば柔軟な形で解決に向かわないでしょうか。
スポーツもこれだけトランスジェンダーの人がいるなら3つ目の枠を作っても成立すると思います。
「男子」「女子」「ハーフ」の3つがあれば「体は男だけど心は女だから女性として出る」という意見の人が「ハーフ」に納まって対等な戦いができる気がしますしね。
肉体的な差が大きくなる現状の問題の1つは解決できると思います。
銭湯やトイレといったものも「男」「女」「ハーフ」の3つを作る世界になれば今よりちょっと安心して過ごせるようになりませんか?
まぁ「ハーフ」の中でも「男女」が分かれるので難しい部分もありますけどね。
となると、スポーツ以外は3つじゃなくて「ハーフ男」「ハーフ女」みたいに体の性別でハーフも2つに分けて4つにした方がいいのかな?
う~む・・・分からん・・・難しいわ・・・
もしこの意見がトランスジェンダーの人から「これは新たな差別だ」と言われたらお手上げです。
「私たちは男か女かをハッキリしたい、ハーフなんて分け方はいらない」
って言うならどうしようもないですし・・・
男でもあり女でもある曖昧な存在であるという事実からは目を背けず、強く戦っていくならそれでいいと思います。
ただ、間違っても「どっちつかずな性」を都合よく利用して有利な方に使えないようにする必要はありますね。
不公平感が出ると、また問題がややこしくなりますから。
そうならない第一歩としてスポーツだけは「男」「女」「ハーフ」の3つに分ける案を受け入れてみて欲しいです。
社会生活での分類は色々と難しいので、まずはスポーツで起きたシンプルな問題を1つだけ解決する方向で進めてもいいんじゃないでしょうか。
何かしら丸く収まる方法があると思うので、ダメならダメで変更し、柔軟に対応しながら調整すればいいと思います。
最後に
ニュースで見たスポーツにおけるトランスジェンダー問題にちょっと意見を書いてみました。全部は無理でもスポーツだけはどうにかなると思いましたから。
そもそもスポーツは、生物の本質的に不利な女性が活躍できるように
「性差による配慮」
があるからこそ成り立っているので
「そこまでしなくてもよくない?」
ってくらい配慮すればいいんじゃないでしょうか。
ぶっちゃけ男性にとっては結果に影響がない問題ですし、新たに女性が不利になるかもしれない「性による問題」で困ってるなら、配慮に配慮を重ねて新しい概念でも作って解決するのが早いですから。
もしこれを女性差別と言うのなら、もう男女すら分けず「真の平等」という恐ろしい思想を実現して、いかに女性が配慮されていたのかを思い知るといいよ。
それで、性の問題は
「本当に平等にすると逆に優劣がハッキリして厳しくなる」
という現実を知れば考えも変わるかもしれません。
男女平等にやたら敏感でうるさい「フ」で始まる人達は
配慮
という言葉でいかに気を使われて優遇されているのかを知ることがスタートだと思いますから。
「性差による配慮」は「差別じゃない」
というのを知って欲しいですね。
長くなってしまったのでこの記事で何が言いたかったのかをまとめると・・・
新しい1つの概念を、既存の2つの枠に縛られて解決できないなら
「もう3つに分ければいいじゃん」
って話でした。
こういった問題で少数派の人が「多様性」って言葉を使ってムリヤリ意見を押し付ける感じへの皮肉として「多様化する案」を出してみました。
この手の人がこういう意見を聞き入れず無下に否定すると笑えるよね。
多様な意見を受け入れない人間が「多様性」とか言ってる矛盾が面白いから。
多様性って言葉は少数意見を押し付けるための言葉じゃないよ
「相手の意見を聞き入れられないなら多様性という言葉を使ってはいけない」って気付いてね
と、ある痛い人達へ優しく意見して終わります。
なんでもそうだけど、色々話しあって折り合いをつけるのが大事なんだよね。
「自分の意見が正しいんだから従うべき」
みたいな感じだとどうしようもないからさ・・・
人の話を聞く姿勢を持たないと何も始まらないよ
って話でした。