30代職歴なし、学生時代はクズ相手に苦労してたニートです、こんにちは。
ニートをしてるとやっぱりチラつくのは「死」についてです。
まぁこのままずっとニートとして生きてられるわけじゃないので、どこかで自殺する事になるんでしょうしね。
やっぱりニートと自殺って切っても切れない関係だと思うんですよ。
このテーマもこのブログで何度目かなぁ・・・ってくらい書いてますよね。
まぁニートにとって最大の課題なんで仕方ないんですけどね。
そんな感じで「死」というものがまとわり付いているからか、いつか来る「死」という確実な未来の事が頭の中でグルグル回る事があります。
特に、何もする事ない、かといって何かをやる気にもならない、そんなどうしようもない時、ふと思うんですよね。
「死ぬってどんな感じなのかなぁ・・・」
って。
死ぬまでの苦しみの頂点を越えた後、いったいどうなるのか・・・楽になれるのか・・・けっこう気になっています。
そんな事を考えている時、ふと過去のある出来事を思い出しました。
中学時代なんですけど、ゴミクズ先輩の悪ふざけでちょっと死にかけたっていうか危うい思いをした事があるんです。
でも、今思うとその時の体験は、死ぬ事に対する軽い疑似体験だったのかなぁ・・・なんて思ったりします。
ゴミみたいな記憶なんで消し去りかけていましたが、ちょっと思い出したので、思い出ついでに書いてみようと思いました。
当時味わった軽い死にかけの体験をちょっと聞いてください。
先輩のおもちゃだった中学時代
中学時代の部活の話です。中学になると今までは無かった先輩、後輩という関係が急に出てきますよね。
「先輩の命令は絶対だ、逆らう事は許さない」的な。
まぁこれはゴミクズ体育会系運動部ならではの風習かもしれません。
当時、ある体育会系運動部に所属していた私はこのクソみたいな体制の中、生きていました。
私の入った部では特にそのゴミクズ感が酷かったんです。
顧問が生活指導の先生だったんですが、1つ上の学年の不良たちを野放しにしないために、自分の担当する部に強制的に加入させていました。
つまり、1つ上の先輩達は、学年でも選りすぐりの不良たちだったんです。
しかも、顧問は寄せ集めただけで指導する事はなく放置している状態でした。
「自分の監視下に置いておけば悪さはしないだろう」
くらいの軽い感じだったんだと思います。要は油断してたんですね。
確かに悪さが見つかれば暴力的指導が待っていましたが、不良だってわざわざ目立つ所で悪い事はしません。
顧問の目に入らない陰でこそこそと悪い事をしていました。
なので単にクズが集まっただけで指導されない状態になっていたので、クズっぷりは他の部とは比べ物にならないレベルに達していました。
その中で特に困ったのは「1年は先輩のおもちゃ」という風習です。
私達は生きるおもちゃだったんです。
ストレス解消のサンドバッグになるとかは当たり前でしたね。
いきなり木刀で殴られるわ、無駄に暴力は振るわれるわ、無茶な要求はされるわで、生きた心地がしませんでした。
そんなある日、悪さの度が越えて来たある先輩が言いました。
「人を締め落としてみたい」
と・・・
プロレス技とかであるチョークスリーパーを実際に思いっきり掛けたら人間はどうなるのか試したいとか言い出したんです。
アホかと・・・
でも「アホかこいつ」で済まないのが1年生である私達です。誰かが犠牲になるからです。
逆らえばボッコボコにされる、従えば締め落とされる・・・どう転んでも地獄・・・こんな理不尽な結末しかありません。
そんな中、指名されたのは私でした・・・
「ヤス、ちょっとこい、後ろ向け」
素直に従う私・・・
ガッ!
いきなり首に腕を回されロックされます。
振りほどこうにも学年で5本の指に入る不良のパワー・・・無理です・・・
首で血が止まる・・・
顔が膨らむような感覚・・・
呼吸ができない・・・
体が痺れてくる・・・力が入らない・・・
視界が外側から暗く狭まっていく・・・
・・・
・・・
・・・
私の記憶はここまでです。
不良の悪ふざけで私はそのまま失神させられました・・・
真っ暗な闇の中にいた
「ヤス!」「ヤス!」
「ヤス!」
「はっ」と目を覚ます私・・・
私にとっては一瞬だったんですが、数分目を覚まさない私に焦った先輩が必死に起こしていたようでした。
何が起きたのかその時はよく分かってませんでした。
後から友達に聞くと、ガチで気を失った私がなかなか起きなくて、みんなで体を叩いたり揺さぶったりしながら必死に起こしていたそうです。
焦るならやるなや・・・
あのまま起こさなければそのまま死んだりするのかな?失神ってよく分かりません。
でも、今思うと軽い死への疑似体験だったんじゃないかと思います。
死ぬってあんな感じなのかもしれません。
失神するってどんな感じなの?って思う方もいるかもしれないんでちょっと説明します。
一言で言うと、真っ暗な闇の中にいたって感じですね。
完全に「無」の世界にいました。
今振り返っても記憶にあるのは真っ暗な世界にいたという事だけ・・・
眠ってるのと近いけどちょっと違うような・・・
なんの感覚もなかったです。
本当に「無」の世界っていう表現がピッタリな感じでした。
でも、これが「死」の感覚なのかな・・・って今になると思います。
死んだ後の人間はあんな感じに真っ暗な闇の中に記憶も無いままずっといるような感じなのかもしれません。
ゴミクズ先輩の悪ふざけで起こった出来事でしたが、今となると貴重な臨死体験をできたんじゃないかと思ったりします。
死んだ後は楽かもしれない
あの時の体験で思いました。死ぬっていうのは失神と同じで無の世界に行く事なのかな?って。
似た感じだと、首吊り自殺は今回の感じに近い感じになるのかもしれません。
首が絞まり、血が脳にいかず、そのまま気を失う・・・
あとは無の世界に永遠にいるだけ・・・
そう考えると、苦しみのハードルさえ越えられればそこまで苦しいものではないのかもしれません。
気を失いさえすればあとは何も分からない「無」の世界にいるだけですから。
まぁ気を失うまでは辛かったけどね・・・
でも、気さえ失ってしまえば、後はもう楽になれるんじゃないかと思います。
死ぬっていうのは思ったより怖い世界ではないのかもしれません。
眠っていて夢を見てない時って何の意識もなく過ぎてますよね?あんな感じですから。
楽に気を失う事、これが死のハードルを越える1つの課題かもしれませんね。
最後に
中学時代に失神させられた体験が、もしかしたら擬似的な死の体験だったんじゃないかと思った話でした。確かに気を失うまでは苦しかったけど、その後は完全に感覚がなかったので楽でした。
あのままずっといる事が「死」なら、死ぬ事自体はそんなに恐れる事はないのかもしれません。
文字通り「無」ですからね。
まぁ気を失うまでが大変だけど・・・
やっぱ首吊りが第一候補かなぁ・・・
首がギュッと絞まったらものの数秒で失神したんだから、首吊りもうまく決まれば一瞬な気がする。
今後、いい感じに気を失えてそのまま死ねる方法が見つかったらそれを採用しようと思います。
人間が気を失った時というのは完全に「無」なので、死ぬのも多分それと一緒だと思いますよ。
死ぬまでは辛いけど、その後は多分楽です。
死んだ後は辛くないと思うので、そんなに怖がる事もないんじゃないかなぁ・・・っていうのが今の所の結論です。
まぁその死ぬまでの過程が辛いから躊躇しちゃうんだけどね。でも、
「死んだ後は楽」
「完全に無の世界」
これは言えると思うので、死んだら楽になれるというのを1つの希望にしてみるのはいいかと思います。
あと数年後には私もあっち側にいくかもしれないんで、そろそろ覚悟を決めておかないといけませんね。