世の中には
「誰がこんなめんどくさいこと考えたん?」
というような
「最初から無ければ何の問題も起きなかったのに・・・」
ってことがありますよね。
変なマナーなんかはその最たるものでしょうか・・・
ニートの私には縁がありませんが「おじぎ印」なんかは笑っちゃいましたね。
「おじぎ印」というのは、書類にハンコを押す時、役職ごとに並んで押す欄がある場合、上司への敬意を込めて頭を下げているように斜めに押すという謎のマナーです。
具体的な例は下記のサイトをご覧ください。
ハンコ並び、上司にペコリと「おじぎ」…ビジネスマナー?電子印鑑でも増殖中 : 読売新聞オンライン
これを最初にやったヤツは良かれと思ってやったのかもしれないけど、余計な概念を生み出してしまっているのでやらない方が良かったような気がします。
まぁ最初にやったヤツよりも、これをマナーとして広めたヤツや、こんなんで敬われてると思ってしまう上司の方が問題だと思いますけどね。
他にも極端な例を出すと、日本語独特の文化である「敬語」なんかも当てはまるでしょうか・・・
帰国子女や外国人タレントのタメ口にイラ立ってしまう人がいるというのも「敬語」というものが存在するからですし・・・
最初からこういった概念を作らなければ何の問題も起きなかったわけですから、人間っていうのは勝手に作ったルールで自分を縛って生きにくくしてしまうバカな生き物なんだと思ってしまいますね。
こういうのは変に知能を持った生物の宿命なのかもしれません。
で、本題はここからなんですが、私が好きな将棋の世界で
「日本人らしい気づかいなんだろうけど、コレ、別にいらなくない?」
「最初から無ければ何の問題も起きなかったのに・・・」
と思うことがあります。
今回はそんな話です。
同じ「王」なのに「王将」と「玉将」に分けたヤツって何なん?
将棋の世界には格上や目上の人が「王将」を持ち
格下や目下の人が「玉将」持つ
という(暗黙の?)ルールがあります。
一番大切な「王」という駒でちょっとした敬意を払う風習があるんです。
日本人らしい相手を気づかう文化なんだとは思いますが、これがさ、ちょっとダルい事もあるんですよね・・・
今まで将棋を20年以上やってきてコレに敏感な人はそんなに会ったことはありませんが、気にする人は極端に気にするのでめんどくさいです。
いや、私も長年将棋をやっていてこの風習を受け入れてるので指導対局を受ける時や目上の先生との対局で王将を持つなんて失礼なことはしませんよ。
それに基本的には「玉将」を持つようにして「王将」をゆずっているのでトラブルが起きることはありません。
でも、そこまで深い意味のない風習を知らないばかりに、初心者が先生を相手に「王」を持ってしまって怒られたり、そこまで差がない人同士だと変に気を使うこともあるので
「この風習っている?」
って思わなくもないんですよね・・・
別に「王」を持とうが「玉」を持とうが棋力が変わるわけじゃないですし、本質的には何の影響もないので
「こういう概念が最初から無ければ何の問題も起きなかったんじゃない?」
と思う典型的な無くていい概念の例だと思います。
最初から「王将」だけだったら駒を並べる時に変な気を使う必要もなくて楽ですしね。
多分、将棋が始まった頃には無く、長く続く中で作られた概念だと思うので、歴史はあるんだと思いますが深い意味は無いのでもうなくしてしまっていいんじゃないかと思います。
別に「王」と「玉」がなくても相手を敬いますし、対局が終われば格上か格下かなんてハッキリするんですから、対局前に駒の違いで表現する必要なんてありません。
変な概念を作ったばかりに「礼儀がなってない」みたいになって不快になる人が出てくるめんどくさい風習だと思います。
先手と後手を判別するならアリかも
色々と気を使うこともあるので格上とか格下でどちらが王と玉を持つか決めるんじゃなく、先手か後手かで固定するならアリかと思います。囲碁は先手が黒、後手が白と決まっているので、途中から見てもどちらが先手か分かりますしね。
なので、先手が王将、後手が玉将、という感じにすればちょっとは意味があっていいかもしれません。
途中から見た時に「どっちが先手?」って気になることもありますし、「王」と「玉」というのを続けるなら先後の区別に使うのが無難だと思います。
最後に
将棋の世界にあって「最初から無ければ何の問題も起きなかったのに・・・」
と思う「王将と玉将」の話をしてみました。
「こういう事を気にするのが大切」
みたいな意見もあるかもしれませんが、余計な問題を生むので無い方が平和だと思います。
この風習を知った友達同士で
「前は俺が勝ったから今日は俺が王将な」
って感じで楽しくやる分にはいいですけどね。
結論としてはどちらも王将にしてしまうのが良いと思いますが、もし王と玉を使い続けるなら格上とか格下を示すより、先手後手を判断するために使った方が意味もあっていいんじゃないでしょうか。
気にしなければ何でもない小さなことで問題が起きるのはめんどくさいので、なくしてしまうのも1つの手だと思います。