人生詰んだニートのブログ

人生詰んだニートが「日々の愚痴」や「趣味の将棋」について書いているブログです。

ニートを否定する時に言われがちな「みんながお前みたいなニートになったら社会が回らない」という極論の話

スポンサーリンク

30代職歴なし、極論って使い所が難しいよねって思うニートです、こんにちは。


今回は、数年前に届いたいくつかのコメントを元に記事っぽく書いたけど、


ボツにして公開せずそのままメモ帳に残されていたニートネタ


を修正した記事になります。


今はもうアクセスもあまりなく、コメントもそうそうこなくなったこのブログなんですが、一時期は辛辣なコメントがけっこう寄せられていました。


多かったのはニートを否定するコメントですね。


「働け」

「納税しろ」

「死ね」


みたいなのは定番のフレーズだったでしょうか・・・


「働きたくない」

「何もしたくない」


みたいなことを発信していたので、まともな人が見たらゴミ過ぎて何か言いたくなるのも分かります。


まぁ「死ね」は法的に微妙なのでアレですけど


「働け」

「納税しろ」


という言葉と共に書き込まれる厳しめのコメントは


真っ当にニートのダメな部分を指摘している


ので


「別に俺がニートでもお前に迷惑が掛かってるわけじゃないんだからどうでもよくね?」


とは思いつつも、日本で生きる以上


仕事をせず納税してないダメっぷりを肯定するのは無理


というのもあり、まともな説教として受け取らざるをえません。


最初の頃は


「ひでぇ言われようだな・・・」

「会ったこともない他人にここまで言う?」


とも思いましたが、現実が見えて悪くない体験だと思いました。


そんな感じでどこの誰とも分からない他人から


ニートのダメさ」や「迷惑度合い」


にイラ立ったコメントが吐き捨てられていく中で、


「言いたいことは分かるけど、この人はちょっとバカなのかな?」


と思ってしまう変なニート否定論みたいなものがあったりしたんですよ。


その代表的なのが


「みんながお前みたいなニートになったら社会が回らないだろ!」


みたいな


極論


で訴えてくる言葉です。


「みんながニートになったら」


という言葉でいかにニートがダメかを強く伝えようとする人がたまにいたんですが・・・


「別にニートじゃなくてもダメじゃね?」


って思ってしまって刺さらなかったんですよね・・・


「みんながラーメン屋」

「みんなが公務員」

「みんなが投資家」


とかでも、たぶん社会は回らないじゃないですか。


「みんなが〇〇だったら」


って言葉は小学生の頃の教師とかも説教で使っていた気がしますが、改めて思いました。


「使い所が難しい言葉だなぁ・・・」


って・・・


この手のコメントを見るたびに、極論を使って上手く伝えようとしたはずが


使い所を間違っている感じ


にクスっとして和んじゃうんですよね。


ツッコミ所が気になってイマイチ刺さらないというか・・・


いや、言いたいことは分かるんですよ。


現代の社会の仕組みでみんながニート化したら大変ですから。


でも、さっき書いたようにニートを違うものに置き換えても成立してしまい、


「みんながラーメン屋になってもそれはそれでダメだよね?」

「ガスや水道のようなライフラインが使えなくなるし、店舗も仕入れ先も存在しないからラーメンを作れないし・・・」

「ハチマキをして黒Tシャツを着た頑固そうなおっさんが腕組みをして町中に立ってるだけじゃん?」


っていう変な世界を想像してしまうせいか本質からそれてしまうんですよね・・・


「相手を言い負かしたい」


という感じで論破っぽいことが好きな人って


極論が好きなイメージ


があるんですが、これは失敗した極論の使い方だと思いました。


ヘタに極論で話すと


より強く伝えるはずの結論が脇道にそれて迷子になっちゃった


みたいな感じになるので、使う時は気をつけないとダメですね。


みんながニートになったら・・・

で、ここからがボツになった本題なんですが、数年前に


「みんながニートになったら社会が回らなくなる」


みたいな言葉を元に


「本当に全員がニートになったらどうなるのかな?」


みたいな想像をしてみたんですよ。


なんとなく考えてみると、社会が回らなくなるんじゃなくて


社会という概念がなくなる


んじゃないかと思いました。


仕事をする人がいなくなるので、今現在 当たり前のように存在している


・概念
・サービス
ライフライン


みたいなものは無くなり、


1人1人が自力で生きていく状態


になるんじゃないかと。


その状態を一言で言うと


言語や建造物が残ったまま、すべての人間が野生に返る原始時代のような世界


ですね。


昔、マイナーな雑誌で見た漫画で


現代の地球に巨大隕石が衝突して文明や生命がほぼ消滅し、ギリギリ生き残った人間だけでもう1度0から再起する


みたいな話があったと思うんですが、それに近い状態になるんじゃないか・・・


って思ったんですが、文明が消滅してない場合、便利さを知っている知能が邪魔して苦痛になり、


耐えきれなくなったみんなが元の職場に戻ってサービスの提供を再開し、今ニートの人はまたニートとして落ちこぼれる


みたいな


「結局は元の社会に戻る流れになるのかも・・・」


という考えも出てきて・・・


「あれ?でも通信手段がないから情報が伝えられなくて全員で動けないし・・・」

「そうなると一度止まったライフラインを復興させるのは難しいから・・・」

「戻るに戻れなくてやっぱり原始時代っぽくなる?」

「というかそもそもニートができるのは便利な世の中だからであって・・・」

「余裕で生きられないならニートっていう存在がそもそもない?」

「あれ?」


という答えの出ないループみたいになり終わりを迎えました・・・


もう何を書いているのか分からない・・・


ただ、1つ言えるのは、生きるためには何かしら行動しなければいけないので、


生き残りたい人は自給自足の生活をし、何もできない人はそのまま餓死とかで死ぬ


という流れになり


みんながニートになるとニートがいなくなる


といった


人類のリセット機能


があるような気がしました。


結局さ、ニートっていうのは現代の便利さがあるから快適に過ごせるわけで、それを失ったらニートなんてやってらんないのよ。


「衣食住」を失ったらニートだって甘えを捨てて何かしらやるしさ・・・


まぁなんていうか、生きることで精一杯だったら


「何もしたくない」


とか言ってる場合じゃないし、余裕があるから何もしなくても生きられるニートが存在するんだろうね。


最後に

改めて書いてみて


「やっぱりボツだな・・・」


と思ったんですが、今となってはアクセスとかそこまで気にしない状態なので公開しました。


最初の極論の話はけっこうミスしやすい内容で、


これしかない


という状態でない場合の極論は面白くなったりツッコまれやすくなるので気をつけましょう。


「みんながニートになったら・・・」


という例え方はダメな例の典型なので、他に置き換えた時、それでも似た結論になる場合は使わない方がいいですね。


あ、そうそう、この記事は上記の言い分でコメントしてきた人への返信にもなっています。


数年のタイムラグがあるのでもう見てないと思いますが、あの時、厳しいコメントとのギャップでクスっと笑わせてもらったお礼として受け取ってください。