人生詰んだニートのブログ

人生詰んだニートが「日々の愚痴」や「趣味の将棋」について書いているブログです。

「アラフォーになっても同窓会に行ける人は勝ち組なんだろうな・・・」って思ったニートの話

スポンサーリンク

30代職歴なし、同窓会があったことすら知らないニートです、こんにちは。


ニートブログをやっているといくつかパターン化した「ニートを中傷するコメント」をもらうことがあります。


その中でも


ニートじゃ同窓会に行けないだろ?」

「同窓会に行けないなんて惨めだな」


といった感じで


同窓会に行けない = 恥ずかしいこと


みたいな基準のコメントがちょいちょい来ていたことに気付きました。


世の中には


同窓会を基準に人間の価値をはかる流れ


みたいなものがあるみたいです。


同窓会でマウントを取る


みたいなのを聞いたことがありますが、参加するかしないかでもマウントを取られるとは・・・


なんてめんどくせぇんだ・・・


アラサーとかアラフォーになっても学校を基準に考えるなんて


「学生時代が楽しかったリア充っぽい意見だなぁ・・・」


と思わなくもないですが、たしかにニートの今


「同窓会に行く?」


って聞かれれば迷いなく


「行かない」


と答えますし、その理由として


学校がメッチャ嫌いだったからわざわざ親しくなかったクラスメイトにまで会いたくない


というだけじゃなく


「過去の自分」を知っている人に「落ちぶれた今の自分」を見られたくない


という感覚を持っている私は


同窓会に行くと惨めな思いをする人間


に属するのは間違いありません。


でもこの感覚ってニートに限らず持っていたりしませんか?


「自分はニートじゃなく普通に社会人だけど同窓会には行きたくないかも・・・」


って人もいません?


今回はちょっと文字を多めに打ちたくなったのでその辺の話を書きながら、コメントで書かれた通り


「同窓会に行けないのが惨めなのは否定できないかも・・・」

「アラフォーになっても同窓会に行ける人は勝ち組なんだろうな・・・」


って思ったニートなりの同窓会論みたいなのをダラダラ書いていこうと思います。


そもそも同窓会って行きたいもんなん?

なんとなく


同窓会に参加する人の方が上

行かない方が少数派


みたいな流れを感じるんですが、


「そもそも同窓会って行きたいもんなん?」


っていう疑問があるんですよね・・・


というのも学校ってメッチャ嫌いだったんで、卒業と同時に


「よっしゃあぁぁぁ! 終わったあぁあぁ!」

「これでもうこんな所に来なくていいんだぁあぁぁぁ!」

「めんどくせぇしがらみもこれで終わりだあぁぁぁぁぁ!」


みたいな解放感がハンパなかったのもあり、


学生時代 = 思い出したくないし関わりたくない過去


って感じだったので


ニートじゃなかったとしても同窓会なんて参加しなかった


気がするからです。


私の中では10代の頃を


「もう終わったことなんだから忘れていい」


って切り捨ててる感じがありますし・・・


まぁ これは陰キャならではの感覚なのかもしれませんが・・・


そう考えると同窓会に行ける方が陽キャ感があるからスクールカーストの名残りで「上」と認識されるのも分かる気がするかも・・・


今の自分に自信がないと同窓会に参加できない?

先ほどチラッと書いた


「過去の自分」を知っている人に「落ちぶれた今の自分」を見られたくない


という私が持っている感覚・・・


これ、ニートじゃなくても持っている人っていません?


アラサーとかアラフォーって人生の明暗がハッキリ出てる時期じゃないですか。


・年収
・結婚
・容姿
・経験
・立場


など、明らかに上下がハッキリする現実が見えますよね。


そうやって自分を見た時、


社会の平均より落ちぶれている・・・

明らかに若い頃より衰えて惨めになっている・・・

「収入」も「見た目」も「幸せ度合い」も同級生との差を感じるのが辛い・・・


みたいなことが頭をよぎった時、同窓会に行くか迷いません?


底辺層に属してる現実


を感じてる人ほど躊躇(ちゅうちょ)するんじゃないでしょうか。


「昔は対等だった同級生とこんなに差がついてしまったなんて・・・」


という、過去を知ってるからこそ感じる差を目の当たりにすることに抵抗感がありません?


ニート的に言うと「親戚の集まりに出る苦痛」に近いもの、つまり


マウントを取られる側にいる


と感じた場合は行きたくなくなりますね。


底辺にいることすら笑いに変えられる度量がないなら辛いだけですから。


そう考えると同窓会に行ける人っていうのは


後ろめたいものが特にない

今の人生が満たされている


という幸せな人なのかもしれません。


考えれば考えるほど


アラフォーで同窓会に行きたいと思える人は勝ち組


っていうのは否定できないですね・・・


陰キャは同窓会に出ない方がいい

ここまで同窓会とは無縁な感じに書いてきましたが、実は1度だけ参加したことがあるんですよ。


それが「成人式」と並行して開かれた「中学の同窓会」です。


たぶん、世の中の多くの人が1回だけ参加したとすればこのタイミングの同窓会なんじゃないでしょうか。


昼間に成人式、夜に近くのホテルで同窓会という流れだったのもあり、


「1回くらい参加しておいた方がいいかな・・・」


と、何を血迷ったのか参加したのが最初で最後の同窓会です。


そして得た結論は


陰キャは同窓会に行かない方がいい


という予想通りのものでした。


もともと成人式だけ出る予定だったのに、久しぶりに会った友達が「夜の同窓会に行く」って言ってたからって参加したのが間違いでした。


成人式が終わり、特に仲の良かった者同士でいったん分かれ、改めて夜に集合という感じだったんですが・・・


「やっぱりめんどくさいから同窓会は行かなくてもいいかな・・・」


と思った私のように他の友達もそう思ったらしく、いざ同窓会に行ったら


仲間がほぼ来てない


っていう状況になっていました。


そりゃそうだよ、学生時代に良い思い出がないなら参加するメリットがないんだから・・・


1回 解散した後で冷静になり


「悲しい過去の空気感を思い出す同窓会は行かない方がいいかも・・・」


って


陰キャならではの嗅覚


で勘づいたんだろうね・・・


私もそう思ったのに「行く」と言った手前、行かないのは悪いと思って律義に参加する変なマジメさが勝ってしまった・・・


それが招いたのがこの悲劇よ・・・


学生時代から仲の良いグループ以外とは関わらなかったのもあり ほぼ孤立状態・・・


陰キャの友達は陰キャ

冷静になったら同窓会に参加するわけがない


という当たり前の現実を忘れていたのが致命傷だった・・・


同じグループだったけど いざ2人になると会話が弾まない人しかいなかったので、最終的には1人でウーロンハイをひたすら飲んで記憶を消そうとしてたわ・・・


人生で一番酒を飲んだ日だったよ・・・


それでも記憶が残ってるってことはそれだけ辛い出来事だったってことだな・・・


成人を迎えたのに学生時代のような孤独感を味わうハメになるとは思わなんだ・・・


20歳の頃の同窓会はアラフォーならではの決定的な落ちぶれ感を味わう惨めさはないけど


友達が少ないから話し相手がいない


っていう学生時代の名残りが響く惨めさを味わうハメになる危険性に注意した方がいいですね。


陰キャの場合、20代の頃に同窓会がある時は


どうせ会いたい友達は来ないから同窓会には行かない


という教訓を持っておいてもいいと思います。


最後に

ゆいいつ参加した20歳の同窓会をキッカケに


「同窓会? なにそれ? おいしいの?」


と同級生が集まる謎の集会の存在を記憶から抹消していたんですが、


ニートじゃ同窓会に行けないだろ」

「同窓会に行けないなんて惨めだな」


というコメントを元に現実を見つめ直した話でした。


「自由参加なんだから行っても行かなくてもよくね?」

「行く行かないに優劣なんてないっしょ」


と思っていたんですが、改めて行かない理由を掘り下げると


「落ちぶれた今の自分を見られたくない」


という悲しい理由があることを否定できないのは事実です。


「行っても行かなくてもよくね?」


と言いつつも「行く」という選択肢がないならこの言葉は使えないのかもしれませんね。


とりあえず


アラフォーになっても同窓会に行ける人は幸せ


なんだと思いました。


今となっては参加することはないのでどうでもいいんですが、もし陰キャなのに同窓会があったら行こうと思ってる方がいましたら


陰キャは孤立するから同窓会に行かない方がいい

もし行くなら仲の良い友達がちゃんと来るか確認してから


という現実的な教訓をお伝えして終わろうと思います。


まぁアレだ・・・


迷ったら行くな!


これを忘れなければ大丈夫。