人生詰んだニートのブログ

人生詰んだニートが「日々の愚痴」や「趣味の将棋」について書いているブログです。

「他人に期待しない生き方」って楽だよね

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30代職歴なし、人と関わるのがとにかく苦手なニートです、こんにちは。


ニート生活も長くなってくると無気力になってくるからか、色々なものへの興味、関心みたいなのが消えていく気がします。


目に見えて消えるのは自分への関心でしょうか・・・


これは嫌と言うほど自分のダメさが分かってしまった諦めからくるものかもしれません。


「もう死んで楽になりたい・・・」


とか思うのも


自分という存在に価値がなく、興味を持つ意味すらないって悟ったからなのかも・・・


って思ったりしますしね。


自暴自棄になったニートはこれが極まり過ぎたのかもしれません・・・


ただ、そこまで振り切れずギリギリのラインで踏みとどまってるニートの場合、


ダメなりに生きなきゃいけない


っていうこれはこれでけっこう辛い「過酷な現実」と向き合わなきゃいけません。


これはこのブログの核となるニート感、


死にたいけど死ねない、じゃあ生きるしかない


に通ずるものがありますね。


そんな感じでのらりくらりと生き延びてるニートなんですが、あきらめついでに


「自分以外への興味や関心も捨てたら生きるのが少し楽になったかも」


と思った考え方があったので、ちょっとした愚痴ついでに吐き出したくなりました。


コミュ障ニートのネガティブライフハック


みたいな読み物として続きをどうぞ。


他人に期待をしない

「もうどうでもいいや・・・」


って感じが極まってきた数年前くらいから、色々なものを放棄する感じになったんですが、その中でも


他人に期待しない


という感じになってから楽に生きられている気がします。


「期待しない」というのは、


相手の「考え」や「行動」を変えようとしない

相手をコントロールしようとしない


みたいな意味で、


そもそも他人が思い通りに動くわけがない


という当たり前なことを受け入れただけなんですけどね。


ただ、分かっちゃいるけどついやってしまいがちなのが相手への「期待」や「願望」だと思うんですよ。


人間関係のストレスを抱えがちな人はこれをやりがちで、


期待するから落胆する


みたいな状態になっていたりしません?


だったらコレを最初からないものとして生活すれば楽になるって話です。


そもそも、相手をコントロールできると思ってること自体がおこがましいんですから、


相手に選択権がある事柄は自分にとってプラスになることはない


と割り切り


自分の方が行動を変える


という方針にするとギクシャクしない気がします。


人と関わるのが苦手なコミュ障がとことん他人との距離を遠ざけ続けた末路ではありますが


どうせダメに決まってる


というネガティブ思考を突き詰めた結果、ようやく見つけた着地点かもしれません。


この考えを持ってからは、他人との関係に一線を引けるし、だいたいのことが自分視点で済むから気が楽になりました。


表向きは期待してない感は出さない

こういう記事を書いておいて言うのも変ですが、


相手に期待しない


という方針で生活する場合、リアルではこれを相手に悟られないのは大切になります。


「どうせできない(やらない)んだろうなぁ・・・」


みたいな期待0の投げやり感は出さず、今まで通りの感じにしながら


相手がミスをしても大丈夫な状態にしておく


というのが「期待しない」の重要な所です。


要は


最初から自分だけで解決する気構えを持つ


ということですね。


相手主導になるストレスを避けるのが目的なので、最初から相手がいないものとして解決できる方法を探し、常に自分主導にするのが理想になります。


まぁ、今となっちゃ他人と関わることがほぼないから関係ないんだけどね。


「他人に期待しない」は「アンチをスルーする」の意味にも繋がる

このブログで


アンチはスルーすればいい


みたいな記事をいくつか書いてきましたが・・・


「アンチはスルーすればいい」という意見を書くと「スルーできてないw」と言われるお約束のパターン【アンチ対策ネタ】 - ダメ人間ブログ【ニートの愚痴と将棋の記録】


アンチを相手にしたり論破したりしても悪化するだけなのでそのままスルーしましょう - ダメ人間ブログ【ニートの愚痴と将棋の記録】


「スルー」を「相手にしない」とか「気にしない」という意味で捉えるよりも


相手の「考え」や「行動」を変えようとしない

相手をコントロールしようとしない


という考えを軸にした


「他人に期待しない」をシンプルに体現したもの


と考えると分かりやすくなると思います。


粘着系アンチに絡まれた人なら分かると思いますが、


「アンチコメントや嫌がらせををやめてくれ」と言ってもやめてくれませんし・・・

「アンチって暇なんだよね」と煽りながらアホさ加減を指摘しても何も変わらなかったと思います・・・


ということはアンチに干渉するのはムダなのが分かりますよね。


だったらどうすればいいか・・・


アンチに改善を期待せず、自分が変わればいいんです


この切り替えができるかがポイントですね。


「何を言ってもムダだから放置すればいいか・・・」

「相手にするだけ損なんだよな・・・」


と割り切ってスルーできた時、精神的に区切りがついているのでだいぶ楽になると思いますよ。


もし、過去に書いたアンチ対策の記事を読んで


「気にしない」と思った時点で「気にしてる」んだから「スルーすればいい」なんて何の解決にもならない


と思った方がいましたら


「他人に期待しない」という自分視点の考え


に切り替えると良いかもしれません。


最後に

人付き合いが苦手なニートが20年近いニート生活で行きついた


他人に期待しない


という「ネガティブなりの生きやすい考え方」について書いてみました。


最近は将棋記事ばっかり書いていたせいか、こういうニート感のある記事は久しぶりで不思議な感じがしましたよ・・・


そういえば、この記事を書く前に


「ニート記事ってどんな感じで書いてたっけ?」


と思って過去記事を読み返してみたら、昔は相手に干渉する傾向があったことに気付きました。


ニートに向けた記事では


「私のようにならないように頑張ってください」


みたいなことをよく書いていましたし・・・


アンチ対策の記事では


「どうでもいい他人を気にしても時間のムダ」


とか書いて相手の行動を少し変えようとしていた節がありますし・・・


数年前までは人と関わるのが苦手なクセに変に関わろうとしていたのかもしれません。


今となっては


「お好きにどうぞ」


みたいな投げやり感が強いから、ここ3年くらいで色々とあきらめがついたのかもしれませんね。


記録が残るって面白いわ・・・


もし数年後にこの記事を読み返す機会があったらどう思うんだろうなぁ・・・